令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、
能登半島地震で被害を受けた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。(編集局)
在原業平
『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』
愛子内親王
『幾年の 難き時代を乗り越えて 和歌のことばは我に響きぬ』
後醍醐天皇
『世をさまり 民やすかれと祈るこそ 我が身につきぬ思ひなりけれ』
【湯河原千代田荘】「春の膳」のご案内
ライトアップされた露天風呂
トワイライトタイムを過ぎる頃、ライトアップされる露天風呂からは、晴れた日には美しい星空も広がります。
1200年以上も沸き続ける『名湯 湯河原温泉』。
湯けむりと四季彩のまちで自然の移ろいに身を置いて、
ゆったりと非日常をお過ごしください。
なかなか暖かくならない日々が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
千歳川沿いの桜もまだつぼみを固くしたままですが、開花予想日は3月30日です。
これから暖かくなる春の湯河原へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
さて、「源泉の宿 湯河原千代田荘」では夕食が【春の膳】に変わりました。
春らしくお品数を多く用意させていただき、ワクワク感を演出しております。
一の重の前菜は湯河原&近郊の記念館・話題施設・景色・寺・エンターテインメント・歴史・自然などをテーマにした7品を用意し、二の重は地場産のお造りと美肌効果、そして全身の血流を良くしてコリを改善してくれる栄養素をたっぷり含んだ5皿を用意いたしました。
向かって左:一の重 向かって右:二の重
山海の天ぷらは5点盛りでご用意。揚げ立て!熱々!でお届けします。
「天丼のタレ」(セルフメニュー卓に置いてあります)を使って、「天丼」にして召し上がるのもおすすめです。
展望露天風呂
箱根外輪山の緑から相模湾へ連なる伸びやかな景色を眺めて浸る開放感に溢れた展望露天風呂です。ごゆっくり浸れる湯温の浴槽と少し熱めのお湯の樽風呂があります。
1200年以上も沸き続ける『名湯 湯河原温泉』
湯けむりと四季彩のまちで自然の移ろいに身を置いて、
ゆったりと非日常をお過ごしください。
「湯河原 千代田荘」の温泉は敷地内から湧き続ける豊富なお湯です。
やわらかな泉質の湯にゆったりと身体をしずめ肌ざわりの違いを体感して下さい。
お食事は相模湾の新鮮な魚をはじめ、季節の彩りを味わっていただけるように
心を込めたお料理をご用意しております。
木の温もりが優しい明るいダイニングにて、楽しいひとときを。
エレベーターを中心に客室、お風呂、食事処へ移動しやすい
コンパクトな造りは女性や、御年配のお客様にとても好評です。
野口観光リゾートマネジメント株式会社 源泉のお宿 湯河原千代田荘
(神奈川県足柄下郡湯河原町宮上637/総支配人 田中智志)
【E-mail】chiyodasou-info@noguchi-k.co.jp
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
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アーカイブ リンク記事をご覧ください。
湯河原温泉 山翠楼 SANSUIROU 庭には檜浴槽の露天風呂付き客室
1300年の歴史が息づく湯河原温泉
「万葉集」に詠われた関東一の古湯
今から約一三〇〇年前。平城京を都とした奈良時代半ばに編さんされた「万葉集」は、古代に生きた人々の思いを和歌をつうじていまに伝えてくれます。「万葉集」には「日本三古湯」と称される愛媛県道後温泉、兵庫県有馬温泉、和歌山県南紀白浜温泉と九州太宰府に近い福岡県二日市温泉など選りぬきの古湯だけが登場しますが、東日本の温泉で唯一詠まれたのが湯河原温泉です。
「足柄の土肥(とい)の河内(かふち)に出づる湯の 世にもたよらに 子(こ)ろが言はなくに」
この歌は相模国など東国の歌を集めた巻十四に収められています。土肥は湯河原一帯の古名。当地の豪族・土肥氏は鎌倉幕府を開いた源頼朝の挙兵を助けました。藤木川・千歳川が刻む湯河原の渓谷に湧き出てゆらぐ湯の様を恋人の揺れ動く気持ちにたとえた恋歌によって湯河原温泉が世にデビューしたなんて、すてきではありませんか。
奇しくも奈良時代半ばは、箱根では湯本温泉の開湯縁起で温泉が開かれたとされる時代に当たります。
ただ、縁起は後世につくられたものなので、ここは確かな古典の「万葉集」にすでに温泉が湧いている姿が詠われている湯河原温泉が、文献上も関東(以北)で最も歴史の古い温泉と言えます。
湯河原の泉質は5種類も!
ZIPANG-4 TOKIO 2020 1300年の歴史が息づく湯河原温泉 ❝山翠楼❞
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8801110
【気仙概論】黄金の国ケセンとは
Kesen the Land of Gold
平泉黄金文化を支えた金の産出地
藤原氏系図
概要
気仙郡の名前が登場するのは『日本後紀』巻十。
そこに出てくる日付から、少なくとも弘仁元年(810年)以前には気仙郡という名称が使われていたことがわかります。
東北は8世紀半ばから黄金の産地として知られていましたが、平重盛(平清盛の嫡男)が奥州を知行していた安元年間(1175〜77)のころ、荘園の気仙から金1,300両が進呈されたとあります。
『源平盛衰記』には、重盛が中国(宋)の育王山に、気仙から出た黄金を献上していたという記述もあります。
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