令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた
皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。(編集局)
公益財団法人 阪急文化財団が運営する逸翁美術館では、2024年度に4つの展覧会を開催します。
第一弾は、当館が所蔵する「地蔵十王像」(絹本着色、13世紀)が、国の重要文化財に指定されたことを記念して開催するもので、同作品を陳列するとともに、細部の詳細な図様を拡大して作品の魅力を解説します。
併せて、天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道を巡って広く庶民を救済してくれることから信仰を得た「お地蔵さん」や、その六道の代表ともいえる恐ろしい「地獄」を描き表した作品・資料を紹介。これにより、「地蔵と地獄」が、様々な関心に支えられて生活文化の中の表象として人々の心に刻み込まれ、また親しまれていた様を示したいと思います。
また、関連イベントとして講演会やギャラリートークを開催するほか、美術館内の茶室「即心庵」では呈茶を実施します。概要は下記のとおりです。ぜひ足をお運びください。
【会期】2024年4月13日(土)~6月9日(日)
前期:4月13日(土)~5月11日(土)、後期:5月12日(日)~6月9日(日)
*前期・後期で一部展示替えあり
【休館日】毎週月曜日 ただし4月29日・5月6日は開館、4月30日・5月7日は休館
【会場】逸翁美術館 大阪府池田市栄本町12-27(阪急宝塚線 池田駅下車 徒歩10分)
【観覧料】
一般:700円(各種割引・団体:500円)
学生(高校生以上):500円(各種割引・団体:400円)
小人(中学生以下):無料
【開館時間】午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
【主な出品】
重要文化財 地蔵十王像 鎌倉時代(13世紀)
重要文化財 十巻抄 巻五 地蔵菩薩 鎌倉時代(延慶2年/1309年)
泣不動縁起絵 断簡 室町時代(15世紀)
歌俤栞名所絵合(うたのしおりめいしょえあわせ)江戸時代(嘉永7年/1854年)*前期
一休地獄噺 江戸時代(元治2年/1865年)*後期
他、全29点
重要文化財 地蔵十王像(鎌倉時代 13世紀)
重要文化財 十巻抄 巻五 地蔵菩薩(鎌倉時代 延慶2年 1309年)
泣不動縁起絵 断簡(室町時代 15世紀)
歌俤栞名所絵合(江戸時代 嘉永7年 1854年)
一休地獄噺(江戸時代 元治2年 1865年)
■講演会
【演題】「地獄絵のなかのホトケたち」
人は死んだらどこへ行く?地獄に堕ちたらどうしよう!大人も子どももお坊さんも、あらゆる人が死後の世界を恐れ、ホトケに救いを求めてきました。日本人が“あの世”にどう向き合ってきたか、中~近世の絵画作品を中心に考えます。
【講師】村松加奈子氏 龍谷大学龍谷ミュージアム准教授
【日時】2024年5月25日(土)午後2時~3時30分(予定)
【会場】逸翁美術館 マグノリアホール
【料金等】無料 本展覧会の当日観覧券が必要です
【申込方法】下記のWebフォームよりお申込みください ※先着90名
https://ajlb.f.msgs.jp/webapp/form/25246_ajlb_46/index.do
■ギャラリートーク
「地蔵と地獄」の展示室で、学芸員が作品を解説し、参加者の皆さんと一緒に鑑賞します。
【日時】
前期:2024年4月20日(土)午後2時~3時
後期:2024年6月01日(土)午後2時~3時
【料金等】無料 本展覧会の当日鑑賞券が必要です
【申込方法】申込不要、参加を希望する日時に展示室入口にお集まりください
イメージ
■茶室「即心庵」と呈茶について
小林一三が自ら考案した椅子席で楽しめる茶室「即庵」を、逸翁美術館の館内に「即心庵」として再現し、定期的に呈茶を実施しています。テーマにあわせたオリジナルのお菓子と一服のお茶でゆっくりとした時間をお過ごしください。
【開席日】
「地蔵と地獄」会期中の日曜日
4月14日・21日・28日
5月5日・12日・19日・26日
6月2日・9日
【開始時間】<1>10:50、<2>11:30、<3>12:10、<4>13:10、<5>13:50、<6>14:30
【定員】<1>~<6>各席5名様
【料金】一服500円(税込)
【呈茶券購入】
各日10時より、美術館受付で当日<1>~<6>各席のチケットを販売します(先着順)。
※チケットはおひとり様2枚まで購入いただけます。
※電話等でのご予約はできませんのでご了承ください。
※ご希望者多数の場合は、9時50分より逸翁美術館1階正面玄関前にて整理券(おひとり様2枚まで)を配布いたします。
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
逸翁美術館
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
「小林一三」について
小林一三自邸 新逸翁美術館より徒歩2~3分のところにある旧逸翁美術館
(現在は、小林一三記念館(雅俗山荘))
小林一三は、1873(明治6)年、現在の山梨県韮崎市に生まれました。「一三」の名は、誕生日1月3日にちなみます。19歳の時に慶應義塾を卒業し、三井銀行で本店勤務の後、大阪支店に赴任します。
元来、文学青年で小説家志望であった一三ですが、銀行員時代の先輩達との出会いから事業の面白さに目覚めていきました。
1907(明治40)年、三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道(現、阪急宝塚線・箕面線)を創立します。1910(明治43)年に運行を開始した電鉄事業は、沿線の住宅開発を併せて行うという独創的なアイデアによって好調なスタートを切りました。
1918(大正7)年に社名を阪神急行電鉄と改め、1920(大正9)年には神戸線が開通し、「阪急電車」として広く親しまれるようになりました。
一方梅田では、1929(昭和4)年に日本初のターミナルデパートとなる阪急百貨店(現、阪急うめだ本店)を開業し、洋食をメインとした大食堂は大人気となりました。
また、宝塚歌劇や阪急ブレーブス、そして東宝を設立するなど、たくさんの人たちが楽しむことが出来る事業を次々に成功させていきました。
このような一三のユニークな発想から生まれたビジネスモデルは、日本の私鉄経営をはじめとして、様々な事業者に影響を与えました。
そうした手腕が見込まれて、東京電燈(現、東京電力)の経営を立て直し、1940(昭和15)年には第二次近衛内閣の商工大臣に、戦後には戦災復興院総裁に任命されました。
また、一三個人としては、幅広い著作を遺した文化人としての業績も持っており、日常の暮らしの中では、趣味の俳句や茶の湯を通じて多くの人々との交流を楽しみました。
多方面に足跡を残した一三は、1957(昭和32)年、享年84歳で没しました。しかし、多くのお客様の暮らしに潤いをお届けするための新たなライフスタイルや娯楽の提案を第一とする一三の精神は、現在も阪急阪神東宝グループの様々な会社に受け継がれています。
そして一三が創始した数々の社会事業・文化事業についても、今なお社会の中で息づいています。
小林一三(雅号:逸翁(いつおう) 日本のために…お疲れさまでした!<(_ _)>
阪急電車や宝塚歌劇、阪急百貨店、映画興行、住宅経営、ホテルなど数々の事業を起こし、阪急東宝グループ(現、阪急阪神東宝グループ)の創始者として知られる実業家・小林一三(雅号:逸翁(いつおう))が生まれてから、2023年1月3日で150年を迎えました。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 逸翁美術館 阪急東宝グループの創始者 小林一三の 生誕150周年を記念した展覧会 開催!
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/40631405
伊豆最古の『十王図』五道転輪王とは?
十王図 閻魔大王
十王図
TREASURE
江戸時代の十王図が数ある中、慶長9年に描かれた栖足寺蔵の十王図は、伊豆最古と言われ全国的に見てもとても希少な作品です。裏書に記された、約百年に一度表具を修復した旨には地域の地名、名前が残ることからも長い間大切に受け継がれたことが伺えます。
十王とは人の死後どの世界へと生まれ変わるかを決定する十人の王で、秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王といいます。
栖足寺本は、すべての絵で画面上方に机を前にし椅子に座った王がおり両脇には冥官や童子、下方にかけて刑罰や地獄の様子が描かれています。
本図で興味深いのは、十幅のうち四幅に、白い服と頭巾をかぶった二人づれの人物が書き込まれています。この人物たちは地獄で死者が裸同然で刑罰を受けている中、着物を着ており、あたかも地獄めぐりをしているように見えます。また、白い着物をよく見ると、細かな点が描き込まれており、おそらく経文が書かれた死装束を着ているのでしょう。
この二人が何者かは不明ですが、生前に善行を行った者、もしくは追善がしっかりされている者だと推測されます。
その他にも、遺族が四十九日までの間、地獄の苦しみを救済するために行う釘抜き念仏の様子や、おそらく死神であろう馬上で弓を引く姿など、他では見られない特質すべき様子が描かれています。 また、この様子は美術専門誌「國華」にも取り上げられ、研究者からも注目されています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「河童の寺 栖足寺の水の流れが心を洗う 伊豆最古の『十王図』五道転輪王とは?」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3516013
【南会津町】照国寺
照国寺の十王像
福島県南会津町に、御蔵入三十三観音第25番札所となっている照国寺があります。ここは鎌倉時代から戦国時代にかけて伊南郷を支配した河原田氏の菩提寺です。同寺に木製の十王像が祀られ、その中に奪衣婆像もあります。閻魔像などと一緒にあり、地獄信仰として祀られたものと言えます。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-8 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その60)福島の姥神たち・多くの姥神が祀られた福島県・・・ 【寄稿文】 廣谷知行
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/50835449/
〜古から✹むらさき✹
色の藤川宿(岡崎市)は天下人家康の生誕地 〜
「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」 芭蕉
岡崎市で【愛知県観光誘客地域活動事業】
~おかまいりスタンプラリー~
第一番札所 六所神社 三つ葉葵が眩しい…因みに小生の家紋は左三つ巴(天の声:無視)
第一番札所 六所神社
祭神
塩土老翁命(安産の神様/しおつちのおじのみこと)
猿田彦命
衝立船戸命(つきたつふなどのみこと)
太田命
興玉命(おきたまのみこと)
事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと)
創建
600年代
由緒・歴史
由緒によれば、37代斎明天皇(655~661年)の勅願によって、奥州塩竃六所大明神が勧請され、神領の寄進を受けて創立されたと伝えられています。
その後、桓武天皇(781~806年)の時代、坂上田村麻呂が東夷征伐に向かう折に祈願し、天皇に願い出て許可を得たことで再建され「六所大明神」の勅額(天皇が神社に特別に与える直筆の神額)をいただいたとの言い伝えもあります。
産土神として松平家・徳川家の崇敬が篤く、天文11年(1542)には竹千代君(家康公)ご誕生の折にも拝礼されたことから「家康公の産土神」として江戸幕府の厚い保護を受け、楼門前の石段は5万石以上の大名しか上ることができなかったそうです。
江戸幕府が開かれる前年の慶長7年(1602)、六所神社は家康公からご朱印状と62石7斗を贈られ、慶長9年(1604)には社殿を造営して神器の品々をくだされました。
3代将軍家光公も、寛永11年(1634)上洛の折に岡崎城から遥拝し、名代である松平伊豆守を使わして100石が加増されました。
朱印状には「六所大明神は東照大権現降誕の地にある霊神なり、是を以て崇敬他と異なり」とあります。家光公はさらに寛永11年(1634)から寛永13年(1636)にかけて、御普請奉行・本多伊勢守と神主大竹大膳久次に社殿と神供所を造営させたことで、本殿、幣殿、拝殿が連結した華麗な彩色の権現造の社殿が完成しました。
貞享51年(1688)には楼門が建てられ、現在では本殿・幣殿・拝殿・楼門・神供所と御神体を納める御厨子6基、社殿の棟札6枚と共に国の重要文化財に指定をされています。
昭和48~51年(1973~1976)と平成26~29年(2014~2017)に、大修復工事が行われ、建立当時の美しさがよみがえった六所神社は、現在も「安産の神様」として信仰を集めています。
第一番札所 六所神社 飛騨の匠の足跡が・・・(前号にてご紹介、探してみて下さい…)
見どころ
重要文化財(国指定)
本殿・幣殿・拝殿
附:厨子6基、棟札6枚
神供所
楼門
以上の建造物は昭和10年(1935)に国の重要文化財に指定されています。
権現造の社殿(本殿・幣殿・拝殿)と神供所は、寛永11年(1634)から徳川家光公の命を受けて改築されたもの。
入母屋造りの楼門は貞享5年(1688)に建立されました。
六所神社の松並木:
名鉄電車の踏切を渡って楼門前の階段まで続く150メートルにわたる樹齢350年の老松の並木は、三代将軍家光公の時代に社殿改築に併せた参道整備で植えられたと伝えられています。
行事
1月1日 元旦祭
1月中旬 古神札焼納祭(どんど祭り)
2月3日 節分祭(節分厄除祈祷)
3月17日 祈年祭
5月13日 春季大祭 戦没者慰霊祭
6月30日 夏越の大祓式(輪くぐり神事)
10月第2日曜日 例祭宵宮祭 翌月曜日 例祭
11月中 七五三詣
11月23日 新嘗祭
12月31日 大晦日の大祓式
※毎月1日、14日には月次祭が行われます。
参拝記念
御朱印あり(受付時間 9:00~17:00)
葵の御紋と手毬と桜がちりばめられたかわいらしいオリジナル御朱印帳があります。
安産の御祈祷を受けた方は、ストラップ御守をいただけます。
住所 〒444-0864岡崎市明大寺町耳取44 ☎ 0564-51-2930
駐車場 60台
第二十三番札所 成道山 松道山 大樹寺【浄土宗】
ご存知松平家、徳川将軍家の菩提寺として知られています・・・
第八番札所 伊賀八幡宮
家康公も大きな合戦の時には必ず参詣したといわれいます。
岡崎十二社(全12か所)
江戸時代後期の記録にしばしば登場する岡崎城下の全長約10km の神社巡り。
岡崎三十六地蔵(全36か所)
江戸時代後期、1834 年(天保5 年)の記録で成立が確認される岡崎城下全長約27kmの地蔵巡りです。
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