ZIPANG-8 TOKIO 2020  「心の文明へ」 2−5   奈良平安の志に戻れ・・・ 【寄稿文】一舟・光秀


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた
皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。(編集局)


幸福度世界56番目の日本の実態を直視し、こころの時代に向けて
奮起しよう。
藤原京の時代、日本人はこのような壮大な夢と理想をイメージし、
デザイン・色彩で、幾つもの都を造った。


一例として藤原京資料館の精密な模型と図を参考に

藤原京の復元模型


藤原京の時代背景図


あのエネルギッシュな日本人達は
今何処へ行ってしまったのだろう。

さもしい経済目的の万博など古代人に恥ずかしくはないか。
古きも新しき物事も、全て宇宙の関連性で存在する。
それは人の理想の「美意識」でのヴィジョンの表現である。


弥生時代日本列島は、西から北から南から、多様な民族がそれぞれの文明を携え、大挙して渡来し、縄文文化と混じりあい日本文化の基礎を造ってきた。


そして千数百年前、大陸の先進文明から漢字と仏教の心を、そして広大な都市デザイン文化を、自然発生的な集落環境から、大陸のシステム的な条理制度を、壮麗な寺院建築を学び、幾度か都を造営し、貴族を中心に各種雅びの文化が花開いた。王族から兵士庶民までの和歌を納めた万葉集も、もののあはれも、世界初の女流文学も生まれた。


しかしその後の日本はどうなったのであろうか。朝廷の警備役の兵が力を持ち、度重なる勢力争いで都も地方の都市も焼かれ、かろうじて残り或いは再建された建築などの存在で往時を偲ぶことが出来るだけである。


だが取り巻く今の環境は、時代の変遷でご覧のような無秩序な美意識もない俗界のバラック建築環境である。幸福度56番目の国の都を残念に思う。


JR京都駅周辺 東寺と新幹線の見える 平安京の現状


「掃き溜めに鶴」から美しき日本へ

今日本では、古き良き美しきものは「掃き溜めに鶴」状態にある。京都でさえ。

 

空海のような偉大な人物の残したものも同様に、その横を、人をより速く運ぶ経済と機能本位の物質文明の新幹線が通り過ぎる。


文化財に限らず古き良きものの周囲だけでも、我が国も諸外国のように建築も看板も電柱類も少しでも改善しよう。


そこから良き人材が育まれ、次世代が幸せと平和を望めるように、教育無料化を、弱者への慈しみを、戦後無条件降伏80年、40兆円プラス3兆円の防衛費増額の一部でも、そろそろ政治家も知識人も、本当の日本の未来のために廻そうぜ。


これも京都の真ん中で、日本の都市は皆同様に外国では珍しい混濁状態。


提案:戦後の終焉として今、都市環境の整理整頓を進める

   今こそ明治の若き岡倉天心やフェノロサの思想の再現の時である

   

次世代を担う子供に美しい環境を

風土と伝統を活かして未来を創ろう

明治の逸材は江戸期の寺子屋の落ち着いた環境が育てた

日本人の環境意識を高める社会性教育を小中学校で

重要文化財や大切な伝統的文化の周囲環境を保全しよう

それらの周りに不似合いな環境を作らない。

寺社の隣の幼稚園などの派手な稚拙なデザインの再考

電柱類と看板類を放任する日本は野蛮国と言われる


そんな折 「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 ガンダーラから日本へ」展に出会い、そこにはなんとも崇高で気高い古代の人々の心があった。唯一の未来仏である弥勒菩薩は、五十六億7千万年後に現れ全ての煩悩を救うと言う。我らの太陽の命が尽き、超新星爆発で太陽系が消滅する時・・・?。


今の日本人、いや世界の人類にも知らせたい、野蛮な人殺し戦争好きな愚かな「英雄」たち、国連も大国の指導者もなんとも無力で、そして神仏は何をしているのだろうかとつい思ってしまう、その答えがここにある。


美こそ平和と幸せへの原動力である

  

先日、未来仏である弥勒菩薩の美しき坐像を見て、誘い込まれた様に名古屋から京都へ。駅から程近い西本願寺の前にある展覧会場は、すっきりとした重みと、充実した展示に見入り、今取り組んでいる「世界平和と幸せ」を願う「心の文明」について、一層励まされる思いであった。


会場の正面ポスターは現代的で良い、が、弥勒菩薩様の背景のXは視覚的には効果的だが、
バツ印にも見えたのが気になった。


展示会場はとてもよく充実していた。中でも数点の彫像の後ろ姿の「ムーブマン」の美しさに惹かれ、日本の鎌倉彫刻への影響を見た。


会場の一隅にあった回廊はカラフルで見事であったが、このように照明を少し落とし地味にし、通路幅が今少し広いとさらに良い臨場感が得られただろうと思う。


有史以来激動の人類の文化と、物質文明の行き詰まりの戦争の現代だが、人類を支えた信仰心とはこれほどまでもと、改めて「心の文明へ」の方向転換への思いを一層心強くした企画展であった。


「立つ鳥跡を濁さず」心の文明の目指すところ


現在この文明の時代にあっても、人は最終的な自己実現を多くの人を殺し、悲しませ、国の最重要人物になるためには水爆まで造り、自己実現を果たそうとする優秀かつ愚かな科学者の、あるいは権力者たちの、人類の背負う業を感じ思う。


人の物質文明は、母なる地球上の平和さえ何も解決出来ず、地球環境を台無しにしたあげく、さらには月に火星に移住し、資源争奪と殺し合いを続けたいらしい。


まして月の土地の販売競争などもう始まっている、何という浅はかな人類なのだろうか。

小さな鳥でさえ「立つ鳥跡を濁さず」の諺があるのに・・・。


改めて「デザイン・色彩」の役割

ところで「デザイン・色彩」の役割は、人の暮らす世界の調和・整理・整頓である。時々自分の家や環境を整理整頓清掃するだけで、人はいざ知らず筆者は幸せ感や平和な気分になる。国や世界の戦争と平和も、同じことを無意識にしているのではと思うことがある。


単なる狭い範囲でのデザイン・色彩調和なども、無意味ではなく、「デザイン・色彩」とは程遠いところに、環境には様々な膨大な要素があり、それらを取り巻く環境を理解し目的に向かって正しく魅力的にまとめ実現することが、人に出来る平和と幸せへの道であるのかもと考える。


その例は明治初頭に各地にできた洋風建築、和洋折衷、擬洋風建築はいずれも美しい。それには日本の文化と伝統技術と知恵を完璧にマスターした棟梁や建築や工芸の専門家の存在があった。


現在の我が国の混濁した景観は、それらの基本を学ばず、絵心、美しきもの事をを知らない、設計だけは何とかやれると思っている人たちが土木建築その他を作ってきたことが、世界でもっとも混濁した日本の風景をつくってきたのではあるまいか。


日本の現代環境におけるデザイン・色彩の基本を共有しよう

風土伝統を活かすとは、日本に住む人が幸せで楽しく美しい風景と心を育むこと、そしてお化粧も服装も自分のためだけでなく、周りの人に幸福感を共有する社会にある。


屋外環境色彩の原則;

日本の最も普遍的で美しい伝統的環境を大切に。そして動くものや晴れのデザイン・色彩は自由で良い。 

人の生きる地球環境、天空海大地山川草木と四季天候に敬意を払い、それらを阻害しないこと。

有史以来やってきたそれぞれの場面で、共に生き生きと共振共鳴響きあうこと。

節句・祭りの晴れの特別色。日常の衣類や交通機関の動くもののデザイン・色も。


白・黒・グレー・自然素材色が全ての基本:

日本の環境基本色彩票を共有し、白黒グレー自然素材色と、交通などの安全色を考慮し、その上に色彩をデザインをすることである。


日本人の容姿が美しく、安全な暮らしを支えるデザイン・色彩。これを守るだけで美しい日本は平和で幸せな国になる。


伝統景観色:

瓦屋根のグレー・墨色・黒・茶

茅葺屋根

緑青 屋根など

白壁

塗り壁色

自然石の色

木材色

枯草


人工素材基本色:

アスファルト

コンクリート

アルミニューム

鉄色 赤錆色 ガルバリュウム

ガラス

煉瓦


禁止色 重要視認色:

安全色、危険色、機能色(ガス・水道・放射能表示) 交通標識色


こんな簡単なことも共有できないから日本は幸福度=民度が低いと言われる

 

以上を守り、多少品が良くない素朴なデザインでも美しく景観的に許容出来る。
古来日本人は審美眼は高い筈、人が美しく見えるには自然と伝統の環境にある。


外国の色を綺麗だからと安易に無闇に使うと、日本人の姿がゴミみたいに見えて、画像をトリミングしたくなる。


デザイン・色彩の良否は高度な伝統と未来への完成度の高さにある。

完成度の高い良いものは、外国のものとでも様式や時代を超えて同居しても調和する。明治の早い時期の渡来洋風建築は程度が良く美しく、それは同様に我が国の建築が洗練された伝統文化の美があって、隣り合っても合体しても美しく調和した。このレトロ美の極地の例は多く残る。


つまり完成度の高さが調和の本質である。単なる色彩や形の類似ではない、高度な人の作る心の矜持がなければ調和の美にならない。


明治の早い時期の渡来洋風建築は程度が高く、美しさを持っていた。それは同様の我が国の文化の高さがあって調和したのである。


その後徐々にレベルの低いものが出来たのは、後継者の教育が十分でなく、伝統や熟練度の浅い後継者教育が十分でなく、バラック建築に環境になった。


理由は市民階級の台頭の時代。さらには現代の産業技術の大量生産は、安易な方向に進み、システム産業が伝統を超えて経済は発展したが、心を置き忘れた。


混在のバラックデザイン文化は、混乱した環境を助長し、そこへ車社会がさらに道路周辺環境の美をも壊滅させた。


経済と機能とスペース優先の法は、しきたりや美的感覚をも粗略にする社会になった。


しかし デザイン・色彩の不思議

安っぽいもので簡単にまとめたい場合でも、その目的と感性が一致する空間と造形と色彩とが、五感で感じられる時、ある種の調和が完成する。それもそれなりに良いムード、幸せ感や平和なドミナンスが生まれる。


良いもの同士、ある種の感覚が共有できるもの同士、古代のデザインも中世のデザインも近代のデザインも、現代も未来的なデザインも、良いもの、完成度の同じ程度のものの集まりは調和する。


少しでも程度の共通性があれば、空間の形の色彩の感性が、デザイン力で「空間力学」が働き共鳴し調和を産む。


この世では、物も事も、全て単独では存在しない。全ての物も事も、宇宙の力、摂理の関係性でここに存在する。


これが環境デザイン以外にも人も同様 に「私も、君も一人ではない」と思う時、全て観るものも、幸せ、平和、美になる。


結びに:ご参考までに紹介致します

今、戦争と平和の世界に、日本の平和と日本人の幸せな未来を考える、
ご既読の皆様には失礼と存じますが、心に響く二人の異なる書です。


渡辺恭二 著・「逝きし世の面影」
日本人の優しき感性の基本を知る原点の書


波多野聖 著・「Peace Maker 天海」
260年の戦争のない平和国家を夢見築いた頭脳明晰長命な人物
明智光秀・千 利休・天海大僧正の伝記



寄稿文 一舟・光秀(林 英光)



環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
東京藝術大学卒業


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


文明の十字路

バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰

―ガンダーラから日本へ―



開催期間:2024年4月20日(土)〜2024年6月16日(日)

龍谷大学 龍谷ミュージアム(京都府京都市下京区堀川通正面下る[西本願寺前])にて、「バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」を2024年4月20日(土)より6月16日(日)まで開催いたします。


アフガニスタンのバーミヤン遺跡は、ユーラシア各地の文化が行き交った文明の十字路とも呼ばれる地域です。


2001年にイスラム原理主義組織・タリバンによって爆破されてしまいましたが、ここには多くの石窟と2体の大仏が彫られ、大仏の周囲には「太陽神」や「弥勒」のすがたが壁画で表現されていました。


本展では、この失われた壁画の新たな描き起こし図や、弥勒信仰がアジアに広がる様子を多くの彫刻や絵画などから紹介します。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-8 TOKIO 2020 文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰―ガンダーラから日本へ―
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/52129656



私たち日本人は色彩を軽ろんじていませんか?

服装も家も街並みも都市も国土も一つの景色です。その基本を少し理解すると全てが融和し、調和が始まります。


私たち日本人は色彩を選択する時、他のものごとより理由も感性も十分な検討もない侭、命に別状はないとして決めています。


しかし戦国時代の武将たちは、命をかけて城ばかりではなく、領地から服装、香りまでトータルデザインに尽くしました。


その根底には「恥と誇り」があったのです。それが日本の穏やかな文化の基本です。またその手本は、天地空海、山川草木、生きとし生きるものの姿や色彩など、全て自然の中にあります。それが人間界の風土に育まれた伝統文化です。


今は伝統的な和の優れた文化よりも、外国の派手な文化に目が行きがちですが、それらは彼らに似合う文化であって、そこに住む日本人が美しく見えないばかりか、外国人から見ても日本人は世界一洋服の似合わない人々と言われる所以です。


その都市環境は電柱と看板とバラバラな建築様式と形と色彩の混沌であり、スラムのようだと言われます。それには視覚上の色彩も大きく影響します。さらにわが国の混沌とした環境の改善は大事な未来の子供達や次世代に不調和な環境が影響し、いじめや犯罪など心の問題にも関わります。環境は人をつくると言います。


そこで都市環境と様々なデザインの、発想から実施に至るまで関わった筆者の多数のプロジェクトの経験から、色彩に取り組む実務のトータルデザインについてご紹介しましょう。一例としてJR岐阜駅前地区再開発での筆者が手掛けた色彩デザインの手順が僅かでもご参考になれば幸いです。



日本の混沌とした実態の都市景観改善に、伝統と有機的造形で取り組んだJR岐阜駅前再開発

古くは東アジアに伝わる理想的で総合的都市づくりは、現在でも私たちの暮らしのあらゆる場面で色彩をも含む「四神相応」のシステムがあります。

今回ご紹介するJR岐阜駅前再開発のプロジェクトにも、実際に空間全体のトータルデザインに取り組むベースとしてそれを活用しています。

地上の幸せな環境づくりの、東アジア5千年の伝統である四神相応はその一つで、大地の風土と四季の色彩の調和を表しています。奈良・京都、そして徳川家康の都市デザインの思想にも今でも名古屋・東京に生きています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-5 TOKIO 2020 色彩デザイン実践講座 事例1 JR岐阜駅前再開発 森羅万象との融和【寄稿文】林 英光
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/21261952



時を越え伝える 聖徳太子の和の心


1400年御聖諱法要 管絃講


法隆寺とは

推古15年(607)、聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる、現存する世界最古の木造建築群です。法隆寺地域の仏教建造物として、平成5年(1993)に世界文化遺産に登録されました。


国宝・重要文化財の建築物だけでも55棟に及びます。建造物以外にも優れた仏教美術品を多数所蔵しており、その数は国宝だけで39件・138点、重要文化財を含めると約3000点にもなります。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020聖徳宗総本山 法隆寺からのお願い「世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー」
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/35303004/



朝鮮通信使行列再現 対馬「厳原まつり」


対馬は、日本の中で朝鮮半島に最も近いという地理的条件から、大陸からの石器文化、青銅器文化、稲作、仏教、漢字などを伝える日本の窓口でした。


また、朝鮮半島との間では古くから貿易などの交流が盛んに行われていました。この活発な交流から、対馬には数多くの書物、仏像、建造物、朝鮮式山城の金田城跡や古墳などの文化財が残っています。


朝鮮半島との友好な交流の歴史の中、1592年~97年の文禄・慶長の役で交流が中断してしまいましたが、対馬藩十万石の藩主・宗家は朝鮮との関係を元に戻すため、朝鮮通信使を江戸まで案内するなど日本と朝鮮の交流再開に努力しました。


20世紀に入り、一時期、対馬と朝鮮半島との交流が中断した時代もありましたが、対馬にとって朝鮮半島は身近な存在であることは変わりありません。それに過去の長い友好の歴史がありました。


一時期中断していた交流も、今では対馬と韓国の釜山が定期航路で結ばれるなど、文化、経済、教育の活発な交流が再開されています。

  

(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「世界記憶遺産認定  朝鮮通信使 日韓友好の共同登録!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3200749



『魏志倭人伝』一支国の王都 壱岐「原の辻遺跡」


国境の島のものがたり

日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。


その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺えます。国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域であります。


ものがたりの詳細

大小6852の島から成る島国・日本。日本の西端に位置する長崎県には、日本最多の971の島があります。


朝鮮半島との間に飛び石のように浮かぶ壱岐と対馬、東シナ海上に鎖状に連なる五島は、古代より日本と大陸を結ぶ「海の道」の要衝であり、地理的に大陸や朝鮮半島に近いことから、融和と衝突の最前線にありました。


魏志倭人伝に記された国境の島

日本がまだ「倭」とよばれていた時代、魏(中国)の使者は、朝鮮半島を南下し、対馬や壱岐を経由して、倭の女王がいる邪馬台国を目指しました。中国の歴史書『三国志』の中の「魏志」倭人伝(*1)には、対馬国(現在の対馬市)と一支国(いきこく)(現在の壱岐市)の様子が次のように記されています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~古代からの架け橋~日本遺産認定「国境の島 壱岐・対馬・五島」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4615487



この大仏様は美濃和紙で創られているのです…これぞまさしく神(紙)と仏の共同作業?


ルネサンスでいきなり大仏様のご登場なので驚かれたかも知れません。しかし、この大仏様こそが匠の技を、随所に活かしたフィレンツェの芸術家に引けを取らない見事なものなのです。


実は今年岐阜市は、フィレンツェとの姉妹都市提携40周年になります。そこで今回は昭和53年より携わっておりましたインテリアコーディネーターにスポットを当て、姉妹都市提携40周年記念講演会と岐阜市について、前編・後編の2回に分けて紹介いたします。


まず本日の前編は、フィレンツェと岐阜市について、更に今回のメイン、記念講演会のご案内です。明日の後編では、木の中に生まれ木の中で育った者にとって(まるで日本昔ばなしのようなフレーズになってきましたが?)記念講演会が木を活かした建築デザインの会場で行われるので、いつかご紹介したいと思っていたその会場と、岐阜市内の見どころを(生まれただけで直ぐに県外に移転、それでも岐阜県は生まれ故郷なので、ⅮNAはしっかりと埋め込まれている筈?)岐阜市の皆さんに助けていただき、張り切ってご紹介できるよう頑張ります!


岐阜インテリアコーディネータークラブ創立20周年。伊藤初代会長と皆様のご苦労が実を結び、本当におめでとうございます。


イタリア・フィレンツェの比較的統一感がある街並み。


南仏コートダジュールでは、更に屋根や壁の色を2色配色(ブラウン系とベージュ系)で市松のようにも使用でき、市から補助がでる(小生の記憶では建築費の2割位だったように思う。)また、南スペインの屋根瓦や白壁は強烈な太陽光を撥ねかえすテカリがあるのに対し、南仏のそれは艶消し、誠にエレガントで自然な雰囲気であったのを未だに憶えている…


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「岐阜とフィレンツェ 姉妹都市提携40周年記念講演会『ルネサンスの街・フィレンツェで生きる人々の誇りと暮らし』(前編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3527439



岐阜とフィレンツェ 姉妹都市提携40周年記念講演会 会場の一角


みんなの森 ぎふメディアコスモスの名前の由来

名称募集に伴い全国から応募いただいた作品の中から、以下の想いが込められた作品を基にしています。


「知と文化、絆」を育む拠点として、様々な情報が国内は言うに及ばず宇宙にまで広がっていくことを期待しています。


この作品に、緑を含め利用される市民が主人公であるという意味を込めて、「みんなの森」という言葉を加えました。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「なんだ、これは!!岡本太郎画伯もきっと驚く『みんなの森 ぎふメディアコスモス』(後編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3534047



藤原京や平城京、平安京の建築にも携わった飛騨の匠


「雲(くも)」は飛騨の大工さんの紋章のようなもの


都を造った飛騨の男たちの技

古くから「匠の里」として栄え、現在でも建築業に従事する人の割合が高いといわれる飛騨市。奈良時代以降、高い技能を持っていた飛騨の匠たちは都に派遣され、藤原京や平城京、平安京の建築にも携わったと伝えられています。


万葉集や日本書紀、今昔物語、源氏物語などにも、飛騨の匠たちの真面目で一途な仕事ぶりや高い技術への賞賛が描かれているほどです。先人たちが磨いた技法は今に受け継がれ、建築はもちろんのこと、家具や一刀彫、陶芸、飛騨春慶塗りなど、飛騨を代表する様々な分野に活かされています。


千鳥格子は飛騨の匠の秘法


飛騨の匠の秘法として有名な「千鳥格子」は、角材の組み合わせに細工がある飛騨の伝統技術のひとつ。 升目を形作る木が、まるで織物の縦糸横糸のように互い違いに組み合わせられている手法です。「飛騨の匠文化館」の体験コーナーでは、この千鳥格子をはじめ、各種の木組みパズルにも挑戦することができます。


実際やってみるとなかなか難しく、中には長い時間をかけて挑戦している観光客も見られるほど。飛騨が誇る技術を集めたこの「飛騨の匠文化館」。館内の展示物を見て、実際に匠の技を体感してから町並み散策へ出発すれば、新しい発見があるかもしれません。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


飛騨の匠の秘法とは

ZIPANG TOKIO 2020「飛騨の匠とは?飛騨の匠を迎えて『壁というデザイン』中部インテリアデザイン連絡会リレーセミナーのご案内」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2226908



「飛騨の匠」の魂と技を伝承

ヤリガンナを使う飛騨の匠


「飛騨の匠」の起源は、縄文時代までさかのぼります。

飛騨は東西に延びる中央の分水嶺を境に、雪の多い北部はブナやナラなどの広葉樹、南部はヒノキなどの針葉樹が広がっていました。また、飛騨山脈や白山からもたらされる水に恵まれ、食料となる肉や木の実なども手に入る住みやすい土地でした。


豊かな森から生まれる木材は、竪穴式住居の建築に利用されていました。
木を切る道具となる蛇紋岩が比較的どこでも採れたため、遺跡の住居周辺には木を伐り倒す斧や、ほぞ孔を開ける鑿(のみ)などの石器がたくさん出土しています。


飛騨の「いらない人はいない」とは

飛騨の縄文人は、良い素材に恵まれた環境で、道具を駆使して住居を建て、みんなで力を合わせて作業するようになりました。人口の少ない飛騨では、昔から「いらない人はいない」といって、よそ者を受け入れる考え方が根づいており、助け合いながら共同で作業することが得意だったと考えられています。


        最後の宮大工と言われた「西岡常一 棟梁」

                  Ⓒ鎹八咫烏


「木のくせ組むには人を組め」

昭和62年初夏、薬師寺西塔に西岡家三代にわたる法隆寺の宮大工西岡常一棟梁を訪ねたことがある。西岡棟梁は正倉院に納められた工芸用のヤリガンナを参考に研究し、堺の刀鍛冶・水野正範氏の協力を得て再現したのである。


飛鳥の時代に使われていた工具・ヤリガンナとは一体どんなものでどのように使うのか尋ねると、薬師寺伽藍復興奉行所に案内してくれ西岡棟梁は、製材したばかりの桧(台桧)を実際にヤリガンナで削って使い方と仕上がりを見せてくれた(ヤリガンナで削った木のくずは、薄く長く巻いて美しい)その折に、この時とばかり質問してみた「木造建築のこんな大きなものを、出身の異なる大勢の匠の方たちで造る時の極意とは?」すると、西岡棟梁がポツリと独り言のように「木のくせ組むには人を組め」と・・・(合掌) 


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020 「飛騨の匠」の魂と技を伝承【飛騨産業】
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/41110746



平安時代には藤原氏の荘園であった飛騨「荘川」


荘川の里 合掌と紅葉そして、爽やかな風が川から吹いてくる・・・


飛騨と聞くと全国の皆さんは、恐らくまず一番に先日、世界文化遺産の一つに登録された「高山祭」の高山を連想されると思います、次に世界遺産の「合掌造りの郷」白川郷、そして「古川祭・起し太鼓」の古川、「スーパーカミオカンデ」の神岡、さらに温泉郷の「平湯」、順位の多少の違いはあるが、当たらずと雖も遠からずではないかと思います、如何ですか?


本日ご紹介するのは、東海地方の地元の方たちでさえ、名前は聞いたことはあるが、どんな所なのか行ったことがないと言われる方が多い「飛騨高山の奥座敷」ともいうべき【荘川(しょうかわ)】です。荘川は自然環境に恵まれた心が癒される水と桜と森の郷です。


2016 年の拡張登録の承認により、荘川地域全域が白山ユネスコエコパークのエリアとなりました。荘川には自然、ふるさとの景色が満ちあふれています 。


実は、50年以上飛騨に通っているにも関わらず、かく言う私もその内の一人で、荘川と聞くと静かな山の中の別荘地、ついで、鮎やあまご釣り位しか(失礼)頭に浮かびませんでした。

今回、世界文化遺産の一つに登録された日本の【山・鉾・屋台行事】の朗報に接し、飛騨の再調査をしはじめて「荘川」の事を詳しく知ることが出来たわけです。

それでは、まず荘川の歴史から紹介致します。


荘川の歴史

江戸時代末期までは、現在の「荘川」と世界遺産の「白川郷」は一つの村で、「白川郷」と呼ばれていたそうです。

はじめて知りました!


富山県まで流れている庄川の最上流にあった村が現在の「荘川」で、下流の村が現在の「白川郷」だそうです。明治に入り白川郷が二分割され、先に下流の村が「白川郷」と言う名前を登録され、困った上流の十八ヶ村は、かって白川と呼ばれていた川に荘園が出来て庄川と呼ばれたので、村の名前を「荘川」と名づけたそうです。


飛騨弁を研究されている大西佐七さんによると「飛騨で最も早く開けたのが、現在の荘川・白川郷のある地で、平安末期に藤原氏が白川荘という荘園を所有していた。」とのことです。


文化

荘川民謡

民謡は、谷や川に沿って伝わると云われ、それに沿う街道を運ばれます。ここ荘川でも、「庄川」に沿う「白川街道」により伝えられた民謡や、郡上へ通じた「郡上街道」を通して持ち込まれた様々な民謡が伝承されています。山深い隔絶された地域で、それらの民謡が歌い継がれて発達成長し、荘川地区独特の民謡となり、現在も民謡保存会の皆様により保存・伝承活動が続けられています。又地域の産業とともに創作された様々な歌が伝承されていますが、本サイトでは、「盆踊り歌」「祝座敷歌」の一部を紹介いたします。


荘川盆踊り歌

荘川甚句

飛騨にある唯一の「甚句」です。「返し」があり相撲甚句との関連は不明ですが、荘川を代表する民謡の一つで、「日本民謡大観」(日本放送協会編)に楽譜つきで紹介されています。


荘川千本搗き

伊勢神宮の遷宮の際に行われる地搗き作業に由来しています。伊勢音頭に起源があるようで、その特徴を残しています。荘川を代表する民謡の一つで、「日本民謡大観」(日本放送協会編)に楽譜つきで紹介されています。


荘川よいとそれ

囃しに「ヨイトソレ」と言うのでこの題名になっています。長野県諏訪地方の盆踊り歌で、糸引き工女達が持ち込んだもので、飛騨中にわたっています。荘川では、三味線、太鼓などで華やかな盆踊り歌となっています。


荘川えっさえっさ

荘川を代表する軽快な歌で、誰でも手をつなぎ踊りの輪の中に入って行ける良さがあり、七七調口説き節なので長時間にわたって歌われます。


荘川ドッコイサ

郡上方面と荘川は昔より密接な関係があり、郡上街道を通じて文化的・経済的な交流がありました。この曲も石徹白(いとしろ)方面よりわたって来たもので、荘川各地の盆踊り歌、回壇踊りで盛んに踊られる軽快な曲です。


祝座敷歌

荘川おけさ

《おけさ節》は九州で発生した《ハイヤ節》が、日本海側を北上しながら各地に定着したものと言われており、「荘川おけさ」は、越後の《はねおけさ》によく似ており、三味線芸人の「ごぜ」や、庄川での木材運搬の「木流し人夫」たちにより持ち込まれ、変化したものではないかと考えられています。


荘川騒ぎ

「日本民謡大観」によると古い形の《相撲甚句》のくずしであるとされており、ほぼ飛騨全域に分布しています。酒宴の席でのさわぎ歌として、三味線やはやしもにぎやかに誰でもが興に入って歌えます。


荘川しょっしょ

飛騨地方全域に渡って分布している歌で、飛騨を本場としています。「そうそう」→「しょうしょう」→「しょっしょ」と変化し、それがこの民謡の名前になったと思われます。荘白川ではリズミカルで名調子な曲となっています。


荘川輪島

能登輪島方面で素麺製造の粉引き歌として歌われていたものが飛騨地方全域に分布した曲で、各地での変化の状態からみて歴史的にかなり古いものです。最近では《能登麦屋節》としてレコード化されていますが、荘白川ではその古い名前である《輪島》をそのまま伝えています。


荘川古大臣

新潟県中魚沼郡十日町の「広大寺」にまつわるザレ歌が基で、三味線芸人の「ごぜ」さんたちにより日本各地に広まりました。 荘白川には「広大寺節」が《古大臣》として伝えられ、関東の《八木節》はその兄弟歌です。荘白川郷では、三味線伴奏に合わせてリズミカルで独特な味わいの名曲です。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「白川郷の上流 飛騨高山の奥座敷 水と桜と自然の郷【荘川】」

https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1772486



あなたが、まだ出会ったことのない飛騨国府(こくふ)へ


今を去ること千数百年前、
飛騨国府は斐陀国の中心地「国府」として栄えました。飛騨地域に息づく様々な伝統文化や民族は、この地が発祥とも言われています。


亀塚古墳、4~5世紀の中国製の貴重な「き鳳鏡(きほうきょう)」


亀塚古墳

明治28年4月、国府尋常高等小学校を建てるため、亀塚古墳が一部取り壊されることになり、初めての発掘がおこなわれました。その結果、西側の石室から 鉄(てつ)鎧(よろい)・鉄兜(てつかぶと)各1、鉄剣、鉄刀各数本、鉄(てつ)鏃(ぞく)およそ50本、北側の石室から 鉾(ほこ)1本、鉄刀1本出土しました。大正7年、運動場拡張工事のため、すべて取り壊されました。


亀塚古墳から出土した甲冑の復元品


高山市国府町

飛騨地方のなかでも、特に高山盆地や古川・国府盆地では朝霧が発生しやすい。眼下には、霧が晴れた十三墓峠上り口の集落が見え、遠くかなたには、御嶽、乗鞍が望める。昔から「霧の出た日は、天気が良くなる」と言われている。


飛騨国府には豊かな水・森・花・実りがあり、飛騨びとのくらしを穏やかに包んでくれています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020 あなたが、まだ出会ったことのない飛騨国府(こくふ)へ【高山市】(その1)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/47933871



※現在、2300件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見その1. 全世界との情報の共有化その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重!その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

0コメント

  • 1000 / 1000