令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)
眼病平癒の祈願所として、平安時代より天皇家・公家や眼病に悩む人々に信仰されてきた京都府長岡京市の「柳谷観音」(住職:日下 俊英)では、ゴールデンウィーク期間中の2024年4月27日(土)~5月6日(月・祝)に『柳谷観音 新緑ウィーク』を行います。
新緑の美しさを眺めながら心をリセット
京都市内よりも高台にあるため少し遅い春の息吹を身近に感じ、竹などの新緑の青々しさを境内や上書院からご堪能いただけます。また、当山は境内がとても広く混みあっていませんので、ゆっくりとお参りや散策をしていただけます。
歴史ある柳谷観音で、爽やかな風と自然の美しさをお楽しみください。
◆開催期間
4月27日(土)~5月6日(月・祝) 9時~17時 完全閉門
◆拝観料(山門にてお支払いください)
(1) 700円(上書院除く)
(2) 1,500円(上書院含む)※時間指定チケットをお渡しします。
◆花手水
・各所花手水も行います。最新情報は各SNSでご確認ください。
◆上書院特別公開
月に1度、17日のみ公開の上書院を、期間中特別公開いたします。
天皇家公家や特別なお客様のみをお通ししてきた上書院からは、戦前に重森三玲氏の古都百庭として選ばれた名勝庭園(浄土苑)が眺められ、その景色が大変美しいと多くのVIPに愛されてきました。
映画「日本のいちばん長い日」のロケ地にもなり、近年、日本政府観光局の海外向け雑誌書籍はじめ多数メディアで紹介されています。また、現在は出光興産さんのCMにも使用されています。皆様もぜひご覧ください。
公開時間:9時~15時
上書院からの眺め
上書院から眺める浄土苑
新緑の浄土苑
◆柳谷観音×壷阪寺コラボ御朱印
桜大仏で有名な壷阪寺と映画にもなった陽光桜の楊谷寺、両寺院に咲く桜を配したコラボ御朱印です。
日本の代表の桜として歴史の長いソメイヨシノ。戦死した学生たちを弔うために30年かけてつくられた陽光桜。御朱印、ご参拝で古来より眼病に霊験あらたかな観音さまにご縁を結んで頂ければ幸いです。
※御朱印は二カ寺を参拝し完成となります。二カ寺目で観音様の特別印を押します。
【授与期間】
2024年3月1日~2025年4月18日
柳谷観音×壷阪寺コラボ御朱印
◆花手水おみくじ
おみくじが結ばれた花(ペーパーアート)を選んでいただく花手水おみくじを受付にて行っています。選んだお花はお持ち帰りいただけますので、ぜひお花を手に境内の散策をお楽しみください。
花手水おみくじ
◆新緑ウイーク限定御朱印【仏縁御朱印】(書置きのみ)
各ウイークごとに12回に分けて授与している、経文御朱印の第10句。すべて集めると世界にひとつだけの延命十句観音経となります。
※延命十句観音経とは
<全12回シリーズ> 仏縁御朱印「延命十句観音経」
延命十句観音経は十句、42文字から成る、とても短いお経です。
観音様とのご縁に感謝し、信じ念じることで四徳「常楽」「美徳」「我徳」「浄楽」をいただけるというものです。
【延命十句観音経】
観世音(かんぜおん)
南無佛(なむぶつ)
與佛有因(よぶつういん)
與佛有縁(よぶつうえん)
佛法僧縁(ぶっほうそうえん)
常楽我浄(じょうらくがじょう)
朝念観世音(ちょうねんかんぜおん)
暮念観世音(ぼねんかんぜおん)
念念従心起(ねんねんじゅうしんき)
念念不離心(ねんねんふりしん)
健康や延命にご利益があるとされていますが、心が軽く穏やかになり、自然と物事がうまく運ぶようになるなど、多くのご利益をいただけるお経です。
毎日唱えることで奇跡のようなご利益を授かったとのお声も聞かれます。
四季の美しさも込められた仏縁御朱印を集め、延命十句観音経を唱えてみませんか?
当山では、新緑ウイーク・あじさいウイーク・紅葉ウイークの際に一句ずつ授与いたしますので、全体としては数年かかる予定ですが、その時期の一句だけでも授与可能です。
御朱印ですので、ひとつひとつが手書きで唯一のものとなります。(書置きでの授与となります。)
季節を感じながら少しずつ集めて、世界にひとつだけの延命十句観音経をお作りください。
遠方の方でも郵送での受付を行っております。
仏縁御朱印「延命十句観音経」バックナンバー
全て集めると世界に一つの延命十句観音経に
【日下 俊英住職コメント】
青葉が眩しい季節になりました。本年も新緑ウイークを開催いたします。混雑を避け、澄んだ空気と鳥の声が響く京都西山で、ゆったりとした時間をお過ごしください。
【寺院概要】
古来より眼病平癒祈願所として、天皇家・公家の方々をはじめ、人々の厚い信仰と治癒された方々によって支えられてきた京都は長岡京に開かれた寺院。お山の静寂な雰囲気のもとに身を置くことで、しばし日常を忘れて心をリセットできる歴史ある場所。
寺名 : 柳谷観音 楊谷寺
代表住職: 日下俊英
所在地 : 〒617-0855 京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2
Mail : info@yanagidani.jp
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
柳谷観音 楊谷寺
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
「深緑竹生島の沈影」として琵琶湖八景の一つ
竹生島
この物語は、飛騨「春の高山祭」から始まります・・・
4月とは言えまだ肌寒い飛騨の山里「高山」。
毎年、4月14日・15日には春の高山祭が行われ、町内ごとに12台の屋台が古い町並みを練り歩きます。その中の一つに創建年代未詳の上三之町中組・龍神台(りゅうじんたい)があります・・・。
安永4年(1775年)に弁財天像に猿楽を舞わせたとの記録があり、文化4年(1807年)の屋台曳順の「龍神」の台名がみえます。
またこの頃、竹生島(ちくぶしま)弁財天にちなみ、「竹生島」とも呼ばれました。
竹生島は、言わずと知れた日本一の湖「琵琶湖」に浮かぶ神秘の島・・・
竹生島とは
竹生島は、周囲2㎞の琵琶湖で沖島に次ぐ2番目に大きさの島です。
島の名は「(神を)斎く(いつく)島」に由来し、その中の「いつくしま」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になりました。 また、「竹生島」という漢字は、島の形が雅楽などで使われる楽器の笙(しょう)に似ていることからつけられたという説などがあります。
琵琶湖八景のひとつに数えられ、平家物語『竹生嶋詣』や謡曲「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場し、千年を経た今日でも、その姿は人々をひきつけてやみません。
冬のはじまり…長浜市からの竹生島は目と鼻の先にある。
行く秋を惜しみながら琵琶湖の風に揺れる「すすき野と竹生島」の眺め・・・
沖合約6kmに浮かぶ周囲2kmあまりの小島で、宝厳寺と都久夫須麻神社が祀られています。宝厳寺の本尊は弁才天と千手観音。弁才天は安芸の宮島、相模の江ノ島とともに日本三弁天に数えられており、中世以来西国三十三所観音霊場の三十番札所として多くの参詣客で賑わいます。
宝厳寺の唐門は秀吉の大坂城の唯一の遺構と伝わり、都久夫須麻神社の本殿とともに国宝に指定されています。 近年は琵琶湖第一のパワースポットとして注目を集めており「深緑竹生島の沈影」として琵琶湖八景の一つです。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020千年の時を経ても人々を惹きつける「琵琶湖八景 竹生島。神秘的な美しさを秘めた島として平家物語にも登場!(第一話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6066317
水と芸能を司どる天女 弁才天信仰の聖地 竹生島 宝厳寺
弁才天(御前立像)
弁才天は七福神の一人として民衆の信仰を集めてきました。人の穢れを払い「富貴・名誉・福寿」「愛嬌縁結びの徳」「子孫」を恵む神です。また「音楽・智恵・財物」の神として吉祥天とともに広く信仰された女神ですが、もともとはインド古代信仰の水を司る神「サラスヴァティー神」で、それが仏教における守護神として取り入れられたのです。
インドでは「水」には汚れを洗い流す力があるというところから、人々の清き心(菩提心)を守る神として信仰を集め、修行者の守り神として祭られるようになりました。修行を助けるからこそ、芸道、商堂の守り神になったと言われています。
写真は前立の弁才天です。
(秘仏のご本尊は60年に一回開帳、次回の開帳は西暦2037年となります)
※この写真はご分身です。ご本尊弁才天は秘仏につき写真掲載できません
竹生島に上陸し、165段の石段を登ると見えてくる大きな建物が宝厳寺です。 ご本尊は弁才天で、江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれています。 また、宝厳寺観音堂は西国33所観音霊場の30番目の札所として今も多くの方が訪れます。
宝厳寺のいわれ
すべては、天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
宝厳寺宝物 弘法大師・空海請来目録
行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)をご本尊として本堂に安置。翌年には観音堂建立を発案しました。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置しました。 それ以来、天皇のご行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 聖武天皇への天照皇大神のお告げ「江州の湖中にある小島は、弁才天の聖地である。寺院を建立せよ。国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう(第二話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6072605
竹生島 宝厳寺探訪
竹生島宝厳寺には、国宝「唐門」や「法華経序品(じょほん)」※、
重要文化財である「観音堂」「石造五重塔」など、見どころがたくさんあります。
ここでは、その一部をご紹介いたします。
※「法華経序品」…現在は奈良国立博物館に寄託
宝厳寺 国宝「唐門」
唐門(国宝)
『唐門』とは、唐破風をもつ門という意味です。
この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。
桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構です。
文献としては、醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に、大坂城の極楽橋が豊国神社に移築された旨の記述があり、また、豊国廟社僧の梵舜が『舜旧記』 にて、豊国極楽門を竹生島に寄進したとの記述を残しています。この二つの文献の記述により、大坂城の極楽橋が竹生島宝厳寺に移築されたことは間違いないでしょう。
さらに平成18年、オーストリアにあるエッゲンベルグ城にて『大坂城図屏風』が発見されました。その絵中には『極楽門』の前身であったと伝えられている大坂城の本丸北方に架けられていた『極楽橋』の姿が描かれており、その絵図から判断して、『唐門』こそが、秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構であろうと昨今注目を集めています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「天女降り立つ浪漫の島 竹生島 宝厳寺(第三話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6078671
住職語り 『面白の島の四方山話』
女性たちの島
弁才天坐像(ご住職撮影協力)
浅井姫命の話
滋賀県の『近江国風土記』の中に「山の背比べ」という近江の昔話があります。夷服(伊吹)の山と浅井岳が背比べをしました。そこで負けた夷服山の神が怒って浅井岳の首を切り落としました。それが琵琶湖に落ちて竹生島になったというお話です。
浅井岳の神様というのは浅井の氏神の姫のことをいいます。 首がなぜ島になるという伝説となったのか?それは浅井の人たちが自分たちの信仰を島に残したかったからです。
浅井姫と深く関わる浅井の地の人々は、信仰の対象として女性の仏様を必要としました。その仏様が弁天様だったのです。
ここで多くの人が疑問に思う「弁天様は七福神での紅一点の神では?」。まさに、宝船の絵が頭に浮かびますが、実は弁天様は『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』という仏教経典に説かれた仏様なのです。
ですから弁天様はこの浅井の地に信仰の対象として根付くことになり、竹生島は日本で最初に弁才天信仰が根付いた島となりました。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 住職語り『面白の島の四方山話』(第四話)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6086483
極楽橋の竹生島移築の謎!
宣教師ルイス・フロイスも絶賛!
高台院画像(部分)
江戸時代前期 名古屋市指定文化財 木下家資料 秀吉の正室高台院(ねね)の肖像画。
秀吉没後剃髪した姿で描かれる。
大阪城の極楽橋の、ここ宝厳寺への移築に貢献したのが寧々だったのではないかというお話をしましたが、その極楽橋は1596年(慶長元年)に秀吉が架けた、大阪城北の丸と二の丸を繋ぐ橋だとされています。当時日本にいた宣教師ルイス・フロイスは絶賛して、「木造で総漆、金箔や宝石を散りばめ、彫刻で絵を描いた極彩色の50mほどの橋で、小櫓が太陽の光を浴びると素晴らしい輝きを放つ」と記録に残しているそうです。
その橋ができてすぐに秀吉が亡くなり(1598年/慶長3年)、1600年(慶長5年)に橋を崩して京都東山の豊国廟に移築されたことは醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に記述が残っています。その後、1602年(慶長7年)に竹生島に移築したと豊国廟社僧の梵舜(ぼんしゅん)が『舜旧記』に書いています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 ~弁才天の聖地 琵琶湖~ 『竹生島 宝厳寺』(第五話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6091406/
7月1日は『琵琶湖の日』
7月1日は滋賀県が定めた記念日「びわ湖の日」。
滋賀県は、1996年(平成8年)7月に施行された滋賀県環境基本条例で、県民および事業者の間に広く環境の保全についての理解と認識を深めるとともに、環境の保全に関する活動への参加意欲を高めるために7月1日を「びわ湖の日」と定めたのでした。
日本遺産「湖北・菅浦」です。春には桜並木がお出迎え・・・
かって、竹生島を訪れた北条政子、白洲正子(敬称略)も寄ったであろうか?
夢膨らむ里である・・・
校倉・高床式の「菅浦郷土史料館」
★日本遺産★~水と暮らしの文化~
奥琵琶の急峻な湖岸地域に形成された独自の集落構造を示す菅浦は、万葉集にも詠まれた。古くから湖上交通の重要な港としてしられています。中世に「惣」に遡る強固な協同組織によって維持されてきた湖岸集落からは、古くから続く水辺のくらしが今も息づいています。
編集後記
今回で竹生島を中心としたシリーズは6回目となった。
いま思えば、
50年ほども前になろうか…木之本宿の高橋氏に案内してもらったことが思い出される。湖北・湖東のどの集落においても、本来、昔の民家というものはその土地に根付いた地元大工が建てたものであった。
その後、世代交代やライフスタイルの変化、それに伴うハウスメーカーの台頭や、科学の進歩による様々な工法の住宅が出現していつしかその地域の特性が失われ、どの地方も都会の住宅展示場のようになってしまった。
当時、湖東の大工さんが独り言のようにこんなことを呟いたのを思い出す。
「数十年経ったら、我々大工は今の宮大工位に減少するであろう」と・・・
実ににその通りの有様を目の当たりにしている。これが人間の進歩というべきか・・・
今夜はこの辺で。
皆々様安らかにお休みなさい。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「【日本遺産】湖北・菅浦の湖岸集落」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6097082
北国街道 木之本宿と奧琵琶湖
湖北水鳥公園から琵琶湖を望む「これは絵画?それとも写真?」何れにしても⁉
琵琶湖にはスーパーコンピューターでさえ創造出来ないほどの顔があるのだ・・・
(画像は本文にてお楽しみください。)
四季折々の美しい自然に彩られ
心安らぐ観音の里
軒先には木で出来た看板が、当時のままにぶら下げられている・・・
賤ヶ岳と余呉湖一帯は本能寺の変による信長の亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った 賤ヶ岳の合戦場であり、周囲の山々には、今も砦跡などが残っています。
高月・木之本は観音の里として知られ、戦国時代の数々の戦火を逃れ、 民衆の手によって守りぬかれてきた数多くの観音像が今も大切に残されています。 また北陸と中山道を結ぶ北国街道が走り、北国脇往還の分岐点の宿場として賑わった木之本宿は 当時の面影を色濃く残しています。
(画像は本文にてお楽しみください。)
その1『北国街道 木之本宿』
地蔵院の門前町として栄え、北国街道と北国脇往還が交わる宿場町で、旅人と木之本のお地蔵さんの参拝客で賑わいました。 木之本宿には昭和の初めまで中央に小川が流れ、柳の木が植えられた宿場らしい風情を残していましたが、今では埋め立てられ、商家の家並みに昔の情景を残しています。
所在地 長浜市木之本町木之本
アクセス
[公共交通]JR木ノ本駅より徒歩にて5分
[自動車]北陸自動車道木之本ICより7分
[駐車場]観光駐車場及び木ノ本駅駐車場
お問い合わせ先 (公)長浜観光協会 北部事務所TEL 0749-82-5909
奧琵琶湖『赤後寺』千手観音立像(重要文化財指定)
その2『赤後寺』
赤後寺は、湧出山(ゆるぎやま)の中腹に建ち、かつては足利尊氏から荘園を寄与され、隆盛を極めたといいます。厄を転じて利となす「転利(コロリ)観音」として親しまれており、三回参拝すれば長患いせず極楽往生できるともいわれています。
毎年、7月10日の「千日会」(その日一日参拝すれば千日分の功徳があるという法要)には、全国から訪れる老若男女で賑わいます。
紅葉の名所鶏足寺
その3『鶏足寺』
鶏足寺鶏足寺(旧飯福寺)は、735年僧行基によって開基された古寺です。いったん荒廃するも799年最澄により再興。山岳仏教の聖地として威容を誇った己高山鶏足寺別院の一つ。中世には僧兵を擁するほどの大寺で、時の権力者の庇護を受け安定した寺運を続けましたが、江戸幕府の終焉とともに衰微しました。 現在は廃寺となっており、普段は地域住民の手によって管理がなされています。
(画像は本文にてお楽しみください。)
「紅葉の名所鶏足寺」として、毎年多くの方が紅葉散策に訪れることで知られています。ゆるやかな参道の石段、苔むした石垣に二百本のもみじの古木が幽玄な情景を醸し出しています。 本尊(十一面観音立像)は、己高閣(ここうかく)に安置されています。隣接する世代閣(よしろかく)とともに、重要文化財の薬師如来立像、十二神将立像のほか、滋賀県指定文化財をはじめ多くの文化財が保存されています。
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その4『菅山寺』(余呉三山)
大箕(だいき)山中にある、真言宗豊山派の古刹。奈良時代、孝謙天皇の勅を受けた照檀上人が開山、龍頭大箕寺と称し、平安前期に菅原道真が宇多天皇の勅使として入山、3院49坊を建てて大箕山菅山寺と改名しました。
江戸時代になって徳川家康の強い要望により、鎌倉の中期に専暁上人が唐から持ち帰った教典約7000巻(国宝)のうち、5714巻を芝の増上寺に譲ったことから、徳川幕府から50石の寺領が与えられました。
明治以降は衰退し無住となったが、大正元年(1912)に保勝会が組織され、残る堂宇の改修と保存がなされています。山門の左右には、菅原道真御手植えと伝えられる樹齢千余年の欅がそびえ、ヒシの自生する池やブナの原生林などの自然に固まれています。
鬱蒼と茂る樹林の間に本堂、護摩堂、経堂、鐘楼などが建ち並び、鎌倉中期の作銘を持つ銅鐘は大正15年(1926)国の重要文化財に指定されています。他にも、本尊の不動明王や十一面観音、木造の狛犬、石灯籠など寺宝は多くあります。
この寺の伝承では、天女が産んだ男子を寺で養育していましたが、それが菅原道真その人であるといい、境内の近江天満宮には、道真の自作と伝わる像が祀られています。
(画像は本文にてお楽しみください。)
余呉湖の別名は鏡湖
古くは、琵琶湖を大江(をおうみ)、余呉湖を伊香(いか)の小江(をうみ)と称し、天女の羽衣や龍神・菊石姫の伝説が残る神秘の湖です。別名「鏡湖」とも呼ばれます。
白鳥に姿を変えて水浴びを楽しんでいた8人の天女の姉妹のうち、伊香刀美(いかとみ)に羽衣を取られた末妹だけが天に帰れなくなり、夫婦となって2男2女をもうけたという物語です。また羽衣を取ったのは桐畑太夫で、菅原道真がその子であると伝える話もあります。
余呉湖と琵琶湖にのみ棲息する特産物・イワトコナマズをはじめ、ワカサギ、フナ、コイ、ウナギ、ナマズなど魚類も多くいます。夏は水面近くをフナの大集団が回遊する姿が見られ、冬には水鳥も飛来します。
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