ZIPANG-8 TOKIO 2020価値観の混乱こそ新たな高次元な美意識を醸成するために必要な手順⁉【寄稿文】中島健視


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)


「心の文明へ」 2−5「奈良平安の志に戻れ」
大変興味深く拝読させて頂きました・・・


先の戦争(太平洋戦争)後、日本は都市部を中心に焼野原となり、
その後私たちの祖父、祖母、父、母たちの世代は現在の日本を見事に復興させました、それはすごく大変なことだったと思います。


復興の途中に走りながら戦争の反省をして、米国の占領地政策で頭を叩かれ、諸外国から非難をされ、長く続いてきた日本人としての美意識に大きな混乱が生じたのでしょう、良い意味でも悪い意味でも様々な価値観が溢れました。時には日本人としてのアイデンティティの喪失、日本文化の否定でもあったのでしょう。


昭和20年~名古屋終戦時の市街


名古屋市 戦災-終戦時の市街(昭和20年)                 


名古屋市中心街「栄」若者の文化的な地域として発展中・・・(現代)                       



明治20年〜函館倉庫事業始め



明治17年(1884年)頃から倉庫の必要性を感じていた初代は、明治20年(1887年)に営業倉庫業に乗り出します。三菱会社との合併により日本郵船会社となったため不要になった共同運輸会社の倉庫建物、地所を買い取り倉庫業を始めました。


創業当時は預かり荷物が不足していましたが、明治23年(1890年)頃には海運隆盛の動きに比例して預かり貨物量が増大し、倉庫が不足するほどになりました。


明治後期〜明治40年大火からの復興

明治40年(1907年)8月、東川町より出火した火災は街の3分の2弱にあたる12,390戸を焼失する惨事となりました。この大火により金森倉庫は6棟を類焼し、言語の絶する大損害を蒙りますが直ちに不燃質倉庫の再建を指示、明治42年(1909年)5月に完成しました。


未曾有の大火から数年、驚くほどの速さで復興を遂げ、明治43年(1910年)には利益をあげるまでに回復。収益では金森倉庫と弁天倉庫が他の倉庫を抜き放すようになりました。


昭和後期〜夢倉庫として新たなる出発


函館金森倉庫 戦後


昭和後期に入ると輸送形態の変化や北洋漁業縮小などの諸事情によって倉庫業はかつての勢いを失っていきます。


その一方で建造物としての金森倉庫が注目されるようになり風格のある姿が映画やテレビ、CMなどに写し出され市民のみならず観光客にも知名度が高まっていきました。


当時の金森倉庫幹部たちは、倉庫業の危機的状況を回避すべく、会社に
余力があるうちに新たな事業への転換をと考えるようになりました。                          


金森赤レンガ倉庫は、老若男女に人気の函館ベイエリアとして復活!     


昭和63年(1988年)4月、「金森赤煉瓦倉庫」は「金森赤レンガ倉庫」へと生まれ変わりました。今もなお、海運業盛んな頃の面影を色濃く残す函館ベイエリアの象徴の一つとして、訪れた人に、忘れられない素敵な時間を残せる場所であり続けられるように、金森赤レンガ倉庫はいつまでも函館の歴史を見守り続けています。


金森赤レンガ倉庫 函館ヒストリープラザ                          


金森倉庫の特徴である高い天井とヒノキ柱を明治42年の建築当時のままの姿で見られる建物です。 開放的な空間で、ここでは工場直送の生ビールやショッピングを楽しめます。


価値観の混乱は戦後80年近くたった今でも続いています。



木造の伝統建築 古い町並みと電柱                            


多分その価値観の混乱が先生のおっしゃる現状日本の都市に見る混乱を引き起こしています、確かに景観を損なう電柱電線、ガードレール、安っぽい建材、派手な看板などなどで溢れています。


金沢市 ひがし茶屋街                          


しかし私はその価値観の混乱こそ新たな高次元な美意識を(これは日本の伝統に繋がっていてほしいのですが。)醸成するためには必要な手順であったのではないかと。


富山市八尾町                              


現在すこしづつですが日本人は日本人としての誇り、価値観を
取り戻しているようです。

楽観主義者の私はそのように考えています。



【寄稿文】 中島健視



スペース・インテリアデザイナー
(公社) インテリアデザイナー協会 中日本エリア エリア長


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)※画像は編集局イメージ


協力(順不同・敬称略)

おわら風の盆行事運営委員会 越中八尾観光協会

石川県・石川県観光連盟

金森赤レンガ倉庫

名古屋市役所



アーカイブ リンク記事をご覧ください。

昭和27年東京 渋谷駅前広場 。日常がゆっくりゆっくりと…止まって見えるような
~懐かしい~そんな時代でした・・・


2000年代の渋谷駅界隈。2027年までにさらに進化!


渋谷スクランブルスクエア2019年・2027年開業


100年に1度と言われる大規模再開発。2019年、渋谷駅周辺のまちづくりは節目を迎えます。東口地下広場が誕生し、バス乗り場が再編され、アーバン・コアや歩行者デッキで移動しやすく、渋谷スクランブルスクエア、渋谷PARCO、渋谷フクラスといった新施設が次々とオープンします。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020再開発が進む渋谷、まちづくりの今を発信「渋谷駅東口地下広場が、誕生各路線を結ぶ  快適空間の創出へ」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6841125


ヴィソン オープンの様子


日本最大級の産直市場 マルシェ ヴィソン

ミュシュランガイドパリ一つ星シェフの手島竜司氏が監修。

那智勝浦から直送したマグロを店頭で解体。100本に1本しかないと言われる希少なモチマグロ が 、そのまま刺身、丼、寿司としてお店に並びます。新鮮さに自信ありですまた、通常捨てられてしまう部位を余すところなく使用した「那智そば」はマグロを知り尽したマグロ専門店ならではの一品です。


地域の生産者が気軽に出店できる「軽トラマルシェ」や東海初出店となる生マグロ水揚げ日本一の和歌山県那智勝浦から直送直売で販売、マグロの解体スペースが常設され卸売・小売・飲食を一体化した「脇口の鮪(※脇の力は刀)」。


伊勢志摩から直送される伊勢えびやあわびといった旬の魚介を現役の海女が目の前で調理や販売する「海女小屋 なか川」。


地元多気町で松阪牛を飼育する牧場直営店の松阪牛肉専門店「若竹」など、全15店舗にて三重周辺の新鮮な海の幸・山の幸を提供する。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~古今折衷~ 日本最大級の商業リゾート施設 VISON [ヴィソン ] 第一期 開業 !(Ⅱ)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/17580583



「東京手仕事」プロジェクトとは

東京の伝統工芸品は、進取の精神に富む江戸職人の匠の技と心意気によって、磨かれ、洗練され、 そして庶民に愛されて連綿と受け継がれてきました。「東京手仕事」は、そんな伝統の技に光を当て、 匠の繊細な「手仕事」の魅力を国内外に発信していく取組。


その粋な味わい、優れた機能性・日常性を広く知らしめ、東京らしい感性溢れる新しい 工芸品にもチャレンジし、伝統工芸品に囲まれた潤いある豊かなライフスタイルを提案。


東京手仕事 受賞一覧(一部です。詳しい画像は本文にて。)


商品開発

伝統工芸品事業者とデザイナー等で開発チームを結成し、海外での需要も視野に入れた高品質で デザイン性の高い新商品を開発。


普及促進

プロモーション活動の実施や国内外での展示会出展等により、伝統工芸品等の新たな販路を開拓するとともに、東京の伝統工芸品のブランド価値を高め、国内外への普及を支援。

(上記開発支援商品に加え、既成の商品も支援対象としています。)


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「東京手仕事 職人とデザイナーのコラボレーション 東京の伝統工芸品を新しく現代に創生(その2コラボ編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4240518


越中おわら風の盆 哀愁を帯びた胡弓の音色が聞こえてくるようです・・・


八尾町とおわら風の盆

おわらの里・富山県富山市八尾町は、富山平野の南西部にあり、平野から飛騨の山脈に連なる街道筋の富山県と岐阜県との県境に位置します。八尾の名称の由来は、飛騨の山々から越中側へのびる八つの山の尾に拓かれた地を意味するといわれています。


かつて「富山藩の御納戸」と称されるほど経済力豊かな町で、街道の拠点として飛騨との交易や売薬、売薬用紙の販売、養蚕による収益などで繁栄していました。富山藩の財政を支えた八尾町民の心意気として、井波彫刻、高岡彫金、城端漆工など加賀藩の名工の作が惜しげもなく散りばめられた豪華絢爛な曳山祭(5月)などを始めとした伝統文化が数多く残っています。


おわら風の盆の開催区域である旧町と呼ばれる地区は、山の傾斜に石を積み上げ、安定させたその上に細長くできた高地に町並みを見せる坂の町です。今もなお昔ながらの風情を残し、昭和61年に「日本の道100選」に選定された諏訪町本通りや、通りの両側を流れる火防・流雪用水路「エンナカ」が奏でる水の音は、おわらの音色と共に平成8年に「残したい日本の音風景100選」にも選定されています。


情緒ある八尾町、町民の生活から見いだしたおわらの歴史は古く、「おわら風の盆」は八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事であり、町民の生命ともいうべき特別な存在です。


越中おわら風の盆 男衆の姿や踊りに見入る女性の観光客・・・


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 越中八尾に初秋の風が吹く おわら風の盆 」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6475442



※現在、2300件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
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ZIPANG-8 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見その1. 全世界との情報の共有化その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重!その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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