ZIPANG-8 TOKIO 2020 岩手県の秘湯の混浴野天風呂 網張温泉「仙女(せんにょ)の湯」 宮沢賢治も浸かった硫黄泉の野趣あふれる野天風呂です


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)


岩手県の秘湯の混浴野天風呂 網張温泉「仙女(せんにょ)の湯」
今シーズンは2024年5月7日(火)から営業を開始します!


温泉・リフト・絶景のマウンテンホテル


秀峰岩手山の南麓に位置するリゾートホテル「休暇村岩手網張温泉」(所在地:岩手県岩手郡雫石町長山 総支配人:竹内貴祐)では、名物の混浴野天風呂「仙女の湯」の今シーズンの営業を2024年5月7日(火)より開始します。


網張温泉をはじめ、十和田八幡平国立公園内には古くからの湯治宿が多く、事業者の手によって、歴史的にも文化的にも価値がある「混浴文化」が守られており、男女隔たり無く温泉を楽しんでいます。


亀滝と新緑のせせらぎの音とともに浸かる温泉は格別です!


◆網張温泉「仙女の湯」

ホテルから約200m、森の中を抜け「湯ノ沢」の谷に続く階段を降りたところに「仙女の湯」があります。




昭和40年代に、スタッフがホテルの裏山を探検していたところ沢筋に滝を見つけ、『このロケーションに露天風呂があったら最高に気持ちがいいだろな』と話題になり、念願が叶って「仙女の湯」が誕生しました。


山道で重機を入れられないため人力で作られていますが、今では雫石町の温泉を象徴する露天風呂として、観光パンフレット等にも紹介されています。


男女に仕切られた脱衣小屋を出ると、 手作りの岩風呂が現れます


男女別の脱衣小屋を抜けると岩を積み上げて造られた湯船がひとつあり、男女混浴となります。湯浴み着のレンタルもご用意しています(1着300円)。湯舟の向こうに流れる「亀滝」の音が響き、滝を間近に眺めながら浸かることができる混浴野天風呂です。


新緑や紅葉など、誰もが楽しめる混浴野天風呂です


◆2024年シーズン「仙女の湯」営業内容

営業時間:オープン 9:00~

     クローズ ~8/31 18:00

          ~10/15 17:00

          ~11/上旬 16:00

     日帰り利用 10:00~14:00

     日帰り利用 入浴料500円(小学生以上)

営業期間:2024年11月上旬まで(天候状況により変更となる場合があります)


《休暇村岩手網張温泉 ディナービュッフェ宿泊プラン》

夕食には質にこだわった岩手ならではのご当地グルメを用意しました。5月までは、「東北の山菜」をテーマに天ぷら、根曲竹の味噌煮、ごはん、パスタなど山菜を使った料理が並びます。


6月からは「東北の夏野菜」テーマにセイロ蒸し、握り寿司、カルパッチョ、生春巻きなど、夏野菜をふんだんに盛り込んだ料理を揃えます。また、チェックアウト後も、日帰り営業時間内で、すべての温泉が利用できます。

 期間:通年

 料金:平日2名1室利用 1泊2食付き 大人13,650円~


「東北の夏野菜」をテーマにした6月からの夕食ビュッフェ


◆休暇村岩手網張温泉

岩手山のふもと・十和田八幡平国立公園内にある休暇村岩手網張温泉からの眺めは、宮沢賢治が愛した理想郷「イーハトーヴ」の原風景と言われています。


その美しい景色の中、網張の森や岩手山などのフィールドを活かしたキャンプやハイキング、登山、スキーなどのアウトドアプログラムが充実しているので、オールシーズンで楽しむことができます。


また、「網張温泉」の一軒宿として知られ、1,300年の歴史を誇る硫黄泉に浸かり、岩手の山海の幸を取り入れた旬のお料理をご堪能ください。

所在地:〒020-0585 岩手郡雫石町網張温泉

総支配人:竹内 貴祐


網張温泉「大釈の湯」 高原を吹き渡る爽やかな風、晴れた夜には満天の星、冬には雪見も楽しめる露天風呂です


お部屋からは小岩井や雫石の田園風景を見渡す大パノラマがご覧いただけます

◆自然にときめくリゾート 休暇村

日本の景色を代表する国立公園・国定公園など優れた自然環境の中にあるリゾートホテル。
35か所ある休暇村は、「自然にときめくリゾート」のコンセプトのもと、地元の食材を活かした料理や、地域の自然、文化、歴史とのふれあいプログラムなど、その土地ならではの魅力にふれる場を提供し、すべてのお客様に心が自然にときめくひとときをお届けします。



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


絶景×リゾート×ワーク

蒜山三座を望む特等席「リゾワテラス蒜山高原」誕生!!!

〜仕事も遊びもリゾートホテル休暇村で〜


岡山県真庭市 休暇村「リゾワテラス蒜山高原」美味しそうな自然と空気でいっぱいです


「リゾワテラス」とは

絶景×リゾート×ワーク in休暇村

密回避やコロナ疲れからのリフレッシュという観点から、リゾート地でのワークは最適です。

絶景を目の前に、より自然の音や風、空気を直接感じていただきたいという思いから、主に屋外でのワーキングスペースの設置を考え、そうして生まれたのが屋外ワークスペース「リゾワテラス」です。


「リゾワテラス 蒜山高原」の特徴

正面に蒜山三座を望み、目の前には広大な牧草地が広がる開放感抜群の絶景スポットに誕生した「リゾワテラス蒜山高原」。様々なタイプのチェアを設置しており、気分を変えながらのワークタイムを提供します。


特にドーム型個室は集中したいときにおすすめです。Wi-Fi環境で、無料貸し出しの電源も使用できます。アクリルパーティションの設置や、ご利用前後のスタッフによる清掃・消毒を徹底しており、安心安全にご利用できます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-5 TOKIO 2020休暇村~自然にときめくリゾート~地元の食材を活かした料理や、地域の自然、文化、歴史とのふれあいを楽しむ!
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/23109492



気仙(けせん)は、伝統文化がいまも豊かに息づく土地です。

歴史的には「黄金の国ジパング」の名の元となった金の産出地としても知られ、 信仰、祭礼、踊り、建築物や美術工芸などを今に伝えています。


柳田國男が絶賛した地としても知られ、宮沢賢治の創作の源一つでもありました。

現在は、大船渡市、陸前高田市、住田町の2市1町に分かれていますが、 文化財の宝庫として、今もケセンは「黄金の国」と呼ぶにふさわしいエリアです。 


種ヶ原 宮沢賢治『風の又三郎』碑


宮沢賢治『風の又三郎』碑

アウトドア施設「種山高原・星座の森」の中央にあるコミュニティー広場に、市民有志によって設置された「風の又三郎像」(中村晋也氏作)が立っています。


 宮沢賢治がこよなく愛した高原

文化的景観

種山ヶ原とは

種山ヶ原は、岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市にまたがる物見山(種山)を頂点とする高原地帯で、物見山・大森山・立石などを総称して別名「種山高原」とも呼ばれます。平原状の高原で気候も冷涼なことから馬の放牧地に適し、藩政時代から利用されてきました。

(岩手県気仙郡住田町世田米大股)


宮沢賢治がこよなく愛した高原としても知られ、童話「風の又三郎」「種山ヶ原」、劇「種山ヶ原の夜」などの作品は、種山ヶ原の風景や気象を題材にしています。宮沢賢治の発想の源である岩手の自然風景地「イーハトーブの風景地」の一つに指定されています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その12)宮沢賢治が愛した~種山ヶ原と人首町~Ⅰ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9285176



黄金の国ジパング『ケセン』

黄金の国ケセンとは

平泉黄金文化を支えた金の産出地としては、本吉、東磐井、気仙、江刺、遠野が知られています。伊達藩時代の気仙四大金山は「玉山、雪沢、今出山、坂本沢」で苦しい藩財政を支えました。中でも玉山金山は金の産出量の多さから「玉千軒」「千人坑」などの言葉を生み、『東方見聞録』のジパングに記された金山もここを指すとの説もあります。


中尊寺 冬、雪に覆われた「中尊寺経蔵」


奥州藤原氏の初代清衡が12世紀始めから四半世紀をかけて造営した寺院です。境内には、金色堂、金色堂覆堂、経蔵等の国宝及び重要文化財があり、鎮護国家大伽藍一区跡等、境内の全域が特別史跡に指定されています。金色堂は、境内北西側に位置する阿弥陀堂建築の霊廟で、藤原氏4代の遺体及び首級が安置されており、平泉の政治・行政のみならず、精神的な拠り所にもなっています。


宮沢賢治が愛した~種山ヶ原と人首町~Ⅱ


「牧歌」 宮沢賢治

種山ヶ原の 雲の中で 刈った草は

どごさが置いだが 忘れだ 雨ぁふる

種山ヶ原の せ高の芒あざみ

刈ってで置ぎわすれで雨ぁふる 雨ぁふる

種山ヶ原の 霧の中で刈った草さ

わすれ草も入ったが 忘れだ 雨ぁふる

種山ヶ原の 置ぎ忘れの草のたばは

どごがの長嶺で ねれでる ぬれでる

種山ヶ原の 長嶺さ置いだ草は

雲に持ってがれで 無ぐなる 無ぐなる

種山ヶ原の 長嶺の上の雲を

ぼっかげで見れば 無ぐなる 無ぐなる


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その13)宮沢賢治が愛した~種山ヶ原と人首町~Ⅱ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9302948



表日本と裏日本とは


日本海 冬の海(石川県)


北陸の冬といえば、 どんよりした雲に覆われた灰色の空や景色をイメージされる方が多いのでは・・・ 確かに全国的にも雨が降る確率は高く、さっきまで晴れていたのにいきなり豪雨になることも多々ある。また、冬は雷が鳴り響く日も多く、そんな日は日本海の荒波を見ることができる。それは迫力があり自然の脅威さえ感じる。


今は八大都市圏と呼ばれるそうですが、これらは殆ど太平洋側に位置しています。


その訳は、明治維新以降に250年間に亘る鎖国が解かれ、西欧諸国に対して文明の遅れを痛感した日本は外交の主軸をアジア諸国から欧米諸国へと移しました。


それは太平洋の遥か彼方にある西洋文明の吸収にありました。つまり、日本の表玄関が太平洋側となったのです。


歴史を辿れば、我が国の対外交流は記紀に見る古代の大量の渡来人(秦、や高句麗、渤海、新羅、百済etc,)等は、ほぼ東アジアに限られていた為、日本海側沿岸部に設けられていた主要港が国内外の玄関口であり、海運・物流拠点でした。


すなわち、明治維新までは長い歴史を通じて日本海側こそが我が国の表日本だったと言えましょう。


そもそも、太平洋側が何故に表日本となった由来を考えますと、歴史的には時の権力者聖徳太子が古代中国、隋の煬帝に向けて使者(遣隋使小野妹子)を派遣し、国書を携え朝貢しましたが、使者によれば次のように記述されていたのです。


倭王のタリシヒコ(用明天皇説が有力とも…)が「海西の菩薩天子(隋の煬帝?)に宛てた? ➡「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す 恙無きや…云々」

この意味は、ー真っ先に朝日が登る国の天子から日が沈む国の天子へ。ご安泰ご隆盛をお慶び申し上げる。ーという感じでしょうか?


これは、あまりにも大国に対して小国日本が胸を張ったとする、無礼極まる有名なお話(勿論、随国の煬帝は激怒したとか…しないとか…?兎に角収まった)。しかし、この時代に日本はすでに「日の本」の国であることを自ら明言していますね?


とは言え、日本海に面した日本海沿岸部は、恐らく長い歴史(氷河期から?)を通じて、日本の表玄関とはアジア大陸との外交関係からみても、れっきとした日本海側地域でした。


ところがつい最近まで私達の記憶にあるのは日本海側こそが「裏日本」。
そう呼ばれて来たのは明治以降の話なんです。たった100年足らずの間だけ。何故でしょう?


それは1960年頃、新潟県から一種の差別用語として苦情が出た為に禁句となり、メディアからもその言葉は一斉に消え去ったのです。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 表日本とは日本海側だったこと知っていますか?(その1)・・・【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10889691



※現在、2300件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
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ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
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ZIPANG-8 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見その1. 全世界との情報の共有化その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重!その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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