ZIPANG-8 TOKIO 2020 「天皇陛下お誕生日に際し」 石川・能登被災地への思いを語る!令和6年【宮内庁】

令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、
能登半島地震で被害を受けた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。(編集局)



                   御所にて


天皇誕生日一般参賀




天皇陛下のお誕生日に際してのご近影


                   御所にて


              石川・能登被災地への強い思い

 天皇陛下の右側には石川県能登の珠洲焼、皇后陛下の左側には輪島塗が飾られています。


会見「天皇陛下お誕生日に際し」


           お誕生日に際し記者会見をなさる天皇陛下 



<宮内記者会代表質問>

問1

この1年、明るい話題があった一方、新年には能登半島地震が発生し、多くの方が亡くなり、避難生活を余儀なくされています。この1年を振り返って、印象に残る出来事をお聞かせください。


天皇陛下

年明けから間もない今年の元日の夕方に発生した能登半島地震は、お正月に家族で集まっていた多くの家庭を襲い、大勢の方が亡くなり、また、けがをされたり、住まいを無くされたりしました。


今回の地震に見舞われた能登地域は、雅子も私も、それぞれ学生時代に訪れて、思い出深く思ってきた地域であるとともに、昨年10月に、二人で揃そろって金沢市を訪問し、県民の皆さんに温かく迎えていただいたことが特に心に残っており、その石川県において、多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております。


亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族と被災された方々に心からお見舞いをお伝えいたします。


冬の寒さが続く中、また特に地震発生から暫しばらくの間は殊の外厳しい環境の中で、多くの被災者の方が避難所での生活を続けてこられており、長期化する避難生活において、高齢の方々などの病気が悪化したり体調を崩されたりすることが案じられます。


今回の地震では、半島地域において道路網が寸断したため、救出・救助活動が難しくなっており、孤立集落が発生したりしました。水道施設の復旧が難しく、断水が長期にわたっており、非常に不便な生活を強いられている方も大勢おられます。


このように厳しい状況の中で、救出・救助活動や、救援物資の提供、被災者の医療・健康支援、ライフラインの復旧などに日夜懸命に取り組んでおられる皆さんに、改めて心からの感謝をお伝えしたいと思います。


また、発災直後から数多くの専門ボランティアやNPOが被災地で活動を開始し、被災された方々の様々な支援に当たっています。きめ細かい支援の大切さを感じるとともに、被災地において、これらボランティアやNPOの活動をされている方々の尽力も大変有り難く思います。


様々な困難な状況が続いていますが、今後、多くの人々からの支援を得て、復旧・復興が順調に進んでいくことを心から願っています。


今回の地震により、能登地域独自の伝統的な文化や産業も大きな被害を受けました。地域の歴史文化・伝統産業は、そこに住む皆さんの心の拠り所となってきた大切なものだと思います。伝統技術を受け継ぐ若い人々の力も得ながら、長く受け継がれてきた伝統文化を守り、継承していくための支援も大切であると思います。


被災地にお見舞いに伺うことについては、私としては、現地の復旧の状況を見つつ、被災者の皆さんのお気持ちや、被災自治体を始めとする関係者の考えを伺いながら、訪問できるようになりましたら、雅子と共に被災地へのお見舞いができればと考えております。


国内全体に目を転じると、自然災害や物価高などにより、多くの人々が様々な困難を抱えながら生活しており、支援を必要としているお年寄りや障害のある方、生活に困窮している方や生活困窮世帯の子どもたちなど、社会的に弱い立場にある人々のことが案じられます。


同時に、このような社会的に弱い立場にある人々を支え、その命と暮らしを守るために力を尽くされている方が多くいることを有り難く思っています。大変なことも多い中ではありますが、人々が、これからもお互いを思いやりながら支え合い、困難な状況を乗り越えていくことができるよう願っております。


地球規模では、地震や水害などの大きな自然災害が起きています。この1年においても、モロッコやアフガニスタンにおいて大きな地震が発生し、多くの人々が亡くなったり、負傷されたり、家を失い避難生活を余儀なくされたりしています。


大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害も世界各地で多発しています。


ここに改めて、これら自然災害により犠牲になられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いをお伝えしたいと思います。


「地球温暖化」について、グテーレス国連事務総長は、昨年7月27日の会見で、現在の状況を「地球温暖化」の時代から「地球沸騰化」の時代が来たと警告しています。以前にも述べましたように、持続可能な世界を築いていくためには、世界の人々が知恵を出し合い、共に手を取り合って協力していくことが、今正に求められており、地球温暖化の問題は、今私たちが真剣に取り組まなければならない喫緊の課題であると思います。


また、世界各地で現在も戦争や紛争などが発生し、多数の人々の命が失われています。飢餓や貧困、抑圧や偏見などに苦しみ、生命や尊厳が脅かされている人々もいます。世界が直面するこうした困難な状況に、深く心が痛みます。


平和な世界を築くために、世界の人々がお互いの理解に努め、お互いを尊重し、お互いを思いやりながら協力していくことの大切さを改めて感じています。


このような中でも、この1年、明るい話題もありました。


昨年の5月には、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが5類に移行しました。引き続き感染症の流行を注視していく必要がある中にあって、人々の日常生活が元に戻っていく上で、確かな明るさが見える年となりました。


科学技術の分野では、つい先日の2月17日、H3ロケットの打ち上げが成功しました。また、1月20日には、小型月着陸実証機「SLIM」が月面へのピンポイント着陸に成功しました。「はやぶさ」や「はやぶさ2」に続き、宇宙開発の分野で長年にわたり積み重ねてきた技術が花開いたものであり、関係者の努力に敬意を表します。


生成AIなど、AIの技術の進展が注目されてきていますが、能登半島地震の被災地では、日本の優れた水処理技術とAIを結び付けた自律制御型のポータブル水再生システムの活用により、入浴や手洗いのサービスが提供され、厳しい状況にある被災者の方々の助けとなっています。こうした取組は若い人たちが中心となって設立した企業による取組と聞きました。全国各地から駆け付けたボランティアの活動を含め、若い人たちのこうした活力が我が国の新しい可能性を切り開いていくことを期待したいと思います。


また、例えばスポーツの世界では、昨年開催された野球のWBCでの日本代表チームの3大会ぶり3回目の優勝や、米国メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が、史上初となる2度目の満票選出でのMVPに選ばれたこと、あるいは、将棋の世界で、藤井聡太さんが「王座」のタイトルを獲得し、史上初の八冠を達成したことなど、若い世代の人々が、日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、私たちに明るい夢と希望を与えてくれました。


問2

新型コロナウイルスの位置付けの変更により、昨年は園遊会が再開され、両陛下での地方訪問も本格化しました。国際親善を目的としたインドネシアへの訪問には、皇后さまも同行されました。行事や訪問先でのエピソードや印象に残っていることをお聞かせください。皇后さまは昨年、還暦の誕生日にあたり「これからまた新たな気持ちで一歩を踏み出し、努力を重ねながら、この先の人生を歩んでいくことができれば」と、今後への思いを綴られました。ご結婚から30年、共に歩んでこられた皇后さまへの思いとともに、贈られたい言葉があればお教えください。


天皇陛下

新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、コロナ禍にあって開催されていなかった園遊会を、昨年は春、秋と開催することができ、久しぶりに多くの皆さんをお迎えできて嬉うれしく思いました。


6月には全国植樹祭に出席するために岩手県を訪れました。


高田松原津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設「海を望む場」において、巨大な津波が押し寄せた広田湾を臨み、東日本大震災当時のことを思い出しながら、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りし、花をお供えいたしました。


東日本大震災津波伝承館では、震災での体験を後世に伝える活動などをされている方々からのお話を伺い、震災の事実と教訓、そして人々の体験や復興への思いなどを後世に伝えていくことの大切さを感じました。


「奇跡の一本松」のモニュメントを初めて実際に見ることができ、全国植樹祭の記念式典でも「奇跡の一本松」の遺伝子を受け継ぐ南部アカマツの苗木を植えることができました。また、記念式典では、「奇跡の一本松」を用いて製作されたいわゆる「津波ビオラ」などで構成される弦楽四重奏を聴くことができ、以前私自身が、そのビオラを演奏会で弾いたことを思い出しました。この地域がこれまで辿たどってきた困難を思い起こしながら、全国植樹祭が開催されるまでに復興が進んできたことを、雅子と共に心から嬉うれしく思いました。


今回訪れた、陸前高田市、大船渡市や釜石市では、被災地の皆さんから直じかにお話を聞くことができ、幾多の困難を抱えながら弛たゆみない努力を続けてこられた姿に心を打たれました。皆さんのお話を伺いながら、まだ課題が多く残されているものの、復興が着実に進んできていることを感慨深く思いました。被災地が、新しいコミュニティ作りを始め、今後、真の復興を遂げていくことを心から願うとともに、被災地に引き続き心を寄せていきたいという思いを新たに致しました。


9月には、全国豊かな海づくり大会のために北海道を、そして10月には、特別国民体育大会のために鹿児島県、国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭のために石川県を訪れ、それぞれの地域の特色に触れ、この国の自然・風土や歴史・文化の豊かさを改めて感じることができました。


今年の歌会始の歌でも詠みましたが、各地を訪れた際に皆さんと直じかに接することができたことは、大変嬉うれしいことでした。それぞれの場所で色々な方のお話を直接伺い、皆さんの笑顔に接することができたことも心和むことでした。地方を訪れた際、それぞれの関係者の方々が感染防止対策に気を配りながら万全の準備を進めてこられたこと、また、多くの道県民の皆さんが私と雅子を温かく迎えてくださったことに、雅子と共に心から感謝したいと思います。


6月には、日本・インドネシア外交関係開設65周年及び日本ASEAN友好協力50周年という記念すべき年に、雅子と共にインドネシアを訪問できたことを大変嬉うれしく思います。二人揃そろっての初めての東南アジアの国への公式訪問ということもあり、私たちにとって、とても思い出深いものとなりました。


訪問中は、ジョコ大統領御夫妻やハメンク・ブウォノ10世ジョグジャカルタ特別州知事御夫妻を始めとして、各地でインドネシア政府や国民の皆さんに温かく迎えていただき、心のこもったおもてなしを頂いたことは大変有り難く、心から感謝しております。この機会に改めて、今回の訪問の実現に尽力されたインドネシアと日本の多くの関係者の皆さんに感謝したいと思います。


訪問を通じて、インドネシアの歴史や、多様性に富んだ豊かな社会・文化に対する理解を深められたほか、両国の間で長年にわたり培われてきた友好親善と協力の実績を目の当たりにすることができました。


また、ボゴール宮殿、同植物園、ダルマ・プルサダ大学、ボロブドゥール寺院遺跡など、かつて上皇上皇后両陛下も御訪問になったゆかりの場所を訪問したり、両国間の交流に様々な形で貢献されてきた幅広い世代の方々に直接お会いして、両国の友好親善関係が、難しかった時代を経て、世代を超えた人々の弛たゆみない努力と交流を通じて育まれてきたことに思いを新たに致しました。日本や日本の人々に温かい気持ちを寄せていただいているインドネシアの人々が沢山いることを実感し、嬉うれしく、有り難く思いました。


中でも、日本の文化や言葉などを通じて日本に関心を寄せるインドネシアの若い人々や、インドネシアで暮らす日本の子どもたちや若い人々と交流する中で、今後の両国の友好親善と協力関係において若い世代が果たす役割の可能性を感じました。両国の若い世代が、お互いに対する関心を深めて交流し、両国の相互理解と友好協力関係の一層の深まりに大きな役割を担っていってくれることを期待いたします。


今回の訪問が、日本とインドネシアの人々の相互理解を一層深め、両国の友好親善と協力関係を更に発展させる契機となったのであれば、大変嬉うれしく思います。


雅子は、工夫や努力を重ねながら、この1年も、都内での式典などの行事のほか、予定されていた岩手県、北海道、鹿児島県並びに石川県への地方の訪問を全て終えることができました。また、久々の海外への親善訪問として、滞在期間が国内で地方を訪問する時よりも長いインドネシア訪問を二人で無事に果たすことができたことに安堵どするとともに、嬉うれしく思いました。


この1年、都内、宮殿や御所での行事も増えました。いまだ快復の途上で、体調には波があり、大きな行事の後や行事が続いた場合には、疲れが暫しばらく残ることもあります。そのような際には、十分に休息を取ってほしいと思いますし、これからも、無理をせずにできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。


国民の皆さんには、これまで温かく心を寄せていただいていることに、雅子共々改めて感謝の気持ちをお伝えするとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。


雅子と結婚してから、二人で一緒に多くのことを経験し、お互いに助け合い、喜びや悲しみなどを分かち合いながら歩んでまいりました。


雅子は、娘の愛子の成長を見守りつつ、私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手になってくれています。本当によくやってくれていると思い、助けられることも多いです。私も、今後ともできる限り力になり、支えていきたいと思っています。


30年を共に過ごし、雅子には、私からこれまでの感謝の気持ちを伝えたいと思うとともに、この先の人生も引き続きよろしく、と伝えたいと思います。


問3

今年、愛子さまは大学卒業後、日本赤十字社に嘱託職員としてお勤めになり、秋篠宮家の悠仁さまは成年を迎えられます。愛子さまの最近のご様子や大学生活での思い出深い出来事とともに、日赤への就職にあたってご家族で話し合われたこと、お一方での公的な活動の見通しや、ご結婚への考えをお聞かせください。皇位継承順位2位の悠仁さまの成長についてどのようにご覧になっていらっしゃいますか。今後期待されていることをお聞かせください。


天皇陛下

愛子には、新型コロナウイルス感染症の感染状況が落ち着き、今年度からは大学のキャンパスに足を運べるようになりました。大学での勉学に熱心に取り組み、先生方やお友達と一緒に、楽しく充実した学生生活を送っているように思います。卒業論文の執筆に当たっては、指導の先生方の御助言を頂きながら、論文を読んだり、放課後などに大学の図書館や日本語日本文学科の書庫などで資料を集めたりしながら、一生懸命、論文を執筆していました。卒業が間近に迫っていますが、残りの大学生活を有意義に送ってもらえればと思っています。これまで温かく御指導いただいている先生方や職員の皆さん、そして、親しくしていただいているお友達に心から感謝しております。


大学生活では、日本語日本文学科の専門科目の授業はもとより、教養科目や他の学科の授業、例えば、日本史、東洋史、日本の伝統芸能や福祉などの講義を聴き、視野を広げることができたことや、殊に今年度からは、大学のキャンパス内で先生方やお友達と直じかにお話ししたり、一緒に運動ができたりしたことなどが、かけがえのない経験として印象に残っているようです。また、キャンパス内の様々な場所を探索できたことも楽しかったようです。


日本赤十字社への就職に関しては、愛子は、成年の記者会見の時にも、「自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動している災害ボランティアの姿に非常に感銘を受けました」と申しましたように、人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います。


そのような中で、愛子は、昨年には私や雅子と共に、日本赤十字社から日赤の行っている様々な活動についてのお話を伺ったり、日赤本社で開催された関東大震災時における日赤の救護や医療活動などの展示を見に伺う機会がありました。このようなことを通じて、日赤の活動に携わることで、少しでも社会に貢献したいという気持ちを強く持つようになったと思われ、私たち家族ともよく話し合い、日赤で勤めることを希望いたしましたところ、日赤側にも快諾していただいたことはとても有り難いことでした。


愛子には、この4月から、日赤の一員として多くの人のお役に立てるよう努力を続けてほしいと思いますし、社会に出ると大変なこともあるかもしれませんが、それを乗り越えて、社会人の一人として成長していってくれることを願っています。


愛子には、これからも、色々な方から沢山のことを学び、様々な経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていってほしいと願っています。また、同時に皇族としての仕事も増えてくると思いますが、今後も、思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、皇室の一員として一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。その過程で、私たちで相談に乗れることは、できる限りしていきたいと思います。


皆様には、これまでも愛子に温かいお気持ちを寄せていただいていることに、心から感謝しております。今後とも愛子を温かく見守っていただければ幸いに思います。


悠仁親王は今年18歳となり、成年を迎えます。小さい時から甥おいとして成長を見守ってまいりましたが、近頃は、地方や都内への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、少しずつ、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思っています。


会った時などには、トンボの話や野菜の栽培、また、クラブ活動として行っているバドミントンの話など、生き生きと話してくれますので、充実した日々を送っているのではないかと思います。


これから、大学への進路についても考えを深めていくことになると思います。本人が関心を持ち、学びたいこと、やりたいこともあると思いますので、自身の将来をしっかりと見つめながら実り多い高校生活を送ってほしいと願っております。


問4

陛下は5月に即位5年を迎えられます。新型コロナで制約の多い期間が続きましたが、可能な限り各地に足を運び、オンラインでの訪問も取り入れ、多くの人々と交流されてきました。海外の賓客とは円テーブルを囲んで会見し、午餐で和食の提供や日本酒で乾杯をされるなど、新たな取り組みも始められました。天皇としての歩みを振り返るとともに、今後の活動について皇后さまと話し合われていることをお聞かせください。また、お忙しい中、水を巡る問題や交通史の研究、ビオラの演奏、登山といった私的なご活動の状況はいかがでしょうか。


天皇陛下

新型コロナウイルス感染症の影響により、地方への訪問を3年近くできなくなるなど、国民の皆さんと直接触れ合うことが難しくなったことを私も雅子も残念に思っていましたが、このような状況の中で、人々とのつながりを築き、国民の皆さんの力になるために、私たちに何ができるかを考え、宮内庁とも相談し、オンラインでの交流の可能性を検討しました。


オンライン訪問には、感染症対策としての利点以外にも、複数の場所にいる人々に同時に会うことや、離島や中山間地域など、通常では訪問が難しい場所でも訪問ができるという利点もあるように思いました。オンラインには、オンラインなりの課題もあるでしょうが、引き続き、状況に応じた形で活用していきたいと思います。


新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、都内においても様々な行事が再開され、そして、地方への訪問も行うことができるようになり、皆さんと直じかに会って人と人との絆きずなを深めることができるようになったことを、雅子と共に、とても嬉うれしく思っています。


これまで、私と雅子は、様々な行事の機会に、あるいは災害の被災地のお見舞いや復興状況の視察のために、各地を訪問してまいりました。その際には、国民の皆さんの中に入り、少しでも寄り添うことを目指して、行く先々で多くの方々のお話を聴き、皆さんの置かれている状況や気持ち、皇室が国民のために何をすべきかなどについて的確に感じ取れるように、国民の皆さんと接する機会を広く持つよう心掛けてまいりました。これからも雅子と相談しつつ、このことを心掛けながら各地を訪問してまいりたいと思います。


外国からの賓客に関する質問につきましては、賓客お一人お一人の訪問がより良いものとなるよう、宮中における伝統や慣行を踏まえつつ、雅子や職員とも相談して、その時々にふさわしい形でお迎えできればと考えています。はるばるお越しいただいた外国賓客の皆さんとより親しく交流し、賓客の皆さんには、日本の文化や伝統を知っていただくとともに、日本の人々に近しい気持ちを抱いていただけるような機会になればと思っております。


私的な活動についての御質問ですが、まず、ビオラの演奏については、最近はなかなか練習の時間が取りにくくなってはいますが、少しずつ続けており、ビオラに限らず、音楽からは多くの癒やしと力をもらっているように思います。音楽についていえば、今月6日に小澤征爾さんが亡くなられたことをとても残念に思います。子どもの頃から、小澤さんが指揮をされた、新日本フィルハーモニー交響楽団、ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場の公演などに伺い、また、お話をしたことを懐かしく思い出します。


登山については、山小屋に泊まっての登山というのはなかなか難しいかもしれませんが、今後とも、時間が許せば近くの山に登るなどして、日本の自然の美しさに触れられればと思っています。


日頃は、皇居内で四季の移ろいや野鳥のさえずりを聴きながらジョギングをしたり、雅子と一緒に散策をしたりするなど、健康のための運動は続けています。


また、昨年は4年ぶりに栃木県の御料牧場や那須御用邸で静養する機会にも恵まれました。豊かな自然の中で、ゆっくりと心安らぐ日々を過ごすことができ嬉うれしく思いました。


「水」問題については、「水」を切り口に、安全な飲み水や、水上交通、自然災害や治水対策といった国民生活の安定と発展に関わる問題や、気候変動といった地球規模での課題など、水は多くの側面に関わってきます。昨年は46年ぶりに国連で水会議が開かれるなど、各国の「水」問題に対する取組も進められていると聞いています。


私自身、昨年は、「第6回国連水と災害に関する特別会合」でビデオでの基調講演を行いました。講演の中では、江戸の町を例に取って、上水道システムを構築したことや、舟運ネットワークを上手に利用したこと、他方で水害から町を守る治水対策を進めたことなどによって、江戸が当時としては世界最大級の都市に発展したことを紹介しました。


水の恩恵を享受しつつ、他方で災害に対応することは、歴史を通じた人類共通の歩みでもあり、水を巡る問題を知ることは、海外の社会や文化を理解することにもつながります。例えば、昨年インドネシアを訪問した際に見る機会がありました、5世紀に造られた「トゥグ碑文」には、当時の治水事業が記されていました。わざわざ石に彫って記録を残すくらいですから、当時のインドネシアでも治水事業が大きな意味を持っていたことが分かります。


これまでもこうした活動を行う中で「水」問題に対する理解を深めようと努めてきましたが、引き続き関心をもって、事情の許す範囲で今後とも「水」問題についての取組も続けていくことができればと思っています。


問5

皇室の課題に関してお尋ねいたします。安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議の報告書が国会に提出されてから、2年が経過しました。皇族の減少と高齢化に対する陛下の受け止めと、皇室の活動の将来像をどのようにお考えになっているかをお聞かせください。


宮内庁の広報室が設置されて間もなく1年となりますが、海外王室のようにSNSでの積極的な情報発信は行われていません。皇室へのバッシングと受け取れる一部の報道やインターネット上の書き込みが続いていますが、情報発信のあり方や誤った情報への対策についても併せてお聞かせください。


天皇陛下

現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は以前に比べ、減少してきております。そして、そのことは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事柄については、私から言及することは控えたいと思います。


昨年もお話ししたとおり、皇室の活動についての情報発信を考えるのに当たって、その前提として、皇室の在り方や活動の基本に立ち返って考える必要があると思います。


皇室の在り方や活動の基本は、繰り返しになりますが、国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。そして、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことは大切であると思います。


皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。


国民と心の交流を重ね、国民と皇室の信頼関係を築くに当たっては、皇室に関する情報を、国民の皆さんに、適切なタイミングで、分かりやすく発信していくことは大事なことであると考えています。


具体的な情報発信の行い方については、現在、宮内庁で検討が進められていると承知しております。


<関連質問>

問1

お誕生日、おめでとうございます。先ほどの、愛子様に関するところの関連でお伺いしたいのですが、陛下がずっと成長を見守ってこられる中で、愛子様が福祉ですとか日赤に関心を寄せられるきっかけとして思い当たるものが何かおありかどうか、また日赤に就職をしたいというお話をお聞きになったときに、陛下は率直にどのように思われたか、お聞かせいただけますでしょうか。


天皇陛下

愛子は私たちの手元で育って、そして私たちが色々やっていることを間近に見てきていると思います。そのような中で、私たちも福祉についての話を愛子にすることもありましたし、いつの時点で、愛子が福祉に関心を持つようになったか、その辺はよくは分かりませんけれども、私たちの話などを聞きながら、そしてまた、自分自身でも自然にそういった福祉について関心を持つようになり、そして、今も話しましたけれども、何か福祉を通して人々の役に立ちたいという気持ちが徐々に形作られていったのではないかというように思います。


そのようなこともあって、大学でも福祉の授業を履修しましたし、それから日赤に入りたいということを聞きました時は、やはり、雅子も私もとてもいい考えではないかというように思いましたし、これからも愛子のことを応援していきたいなというように思いました。


問2

おめでとうございます。今の質問にも関連してしまうのですけれども、実際に今いい考えだとおっしゃいましたけれども、愛子様の海外での御生活、例えば留学生活とか、そういったことについては、どのようなお話し合いがあったのか、今後の可能性も含めてお話しいただければと思います。


天皇陛下

愛子は私たちの元で育てましたけれども、海外からのお客様、特に王族の方々などがお見えになった時には、愛子もできるだけ、都合のつく限りは同席してもらって、そしてその外国の王族の方々などとも、王族に限りませんけれども、色々な方と交流を深めて、そして外国に対する、日本の国以外に対する、外国についても色々理解と知識を深めていってもらいたいというようなことで、今までも育ててきたように思います。


大学では、本人も興味があって、英語以外に第二外国語、スペイン語を履修しましたけれども、これはまたこれで非常に良かったのではないかなと思いますし、それから高校生の時に、イートン校に短期留学でしたけれども夏の間お友達と一緒に留学をして、その際はもちろん語学の勉強もありましたけれども、オックスフォードを含めて、イギリスの中を何か所か回って、イギリスに対する理解も深めることができたと思いますし、もうちょっと遡りますと小さい時にオランダに連れて行ったということもありますので、そういうことを通して、海外に対する関心とか理解というものが深められていったのではないかと思います。


この間はケニアの大統領御夫妻をお迎えしての宮中午餐さんに同席いたしましたけれども、今後やはり海外からのお客様と接する機会というのは増えてくると思いますし、一つ一つの機会を通じて、海外に対する理解を深めていってもらいたいと思いますし、いずれ海外への訪問というものもあるのではないかというように思っております。


いずれにしても、前にも話したことだと思いますけれども、日本にいるといろんな情報がインターネットなどを通じて分かりますけれども、やはり外国に行って実際にその場所を見るということはやはり何物にも代え難いものがあるように思いますし、実際にその場所に行って、そこにいる方々とお話をして、その国の社会や文化に接することによって、また更に大きく成長していってもらいたいというように思っております。



補足

石川県能登「輪島塗」について


           輪島塗大型地球儀「夜の地球 Earth at Night」


日本の漆利用の歴史は縄文時代にまで遡ります。輪島においては、市内重蔵神社に残る棟札(1476年)や朱漆塗りの扉(1524年)等の史料から、室町時代にはすでに初期の輪島塗が存在していたと思われます。


輪島塗の特徴は、地元で産出した珪藻土を粉末にした「輪島地の粉」を下地に使用していることです。また、日本海側の交易の要衝であったため、輪島塗を全国に広めることができました。現在も漆芸の伝統は脈々と受け継がれ、当地からは重要無形文化財保持者(人間国宝)や文化功労者をはじめとした漆芸家を多く輩出しています。


輪島塗は、熟練した職人の手によって生み出されます。椀木地・曲物木地・指物木地・朴木地と職能分化した木地製作が行われます。次に髹漆(漆塗り)の工程で、布着せや輪島地の粉も用いた地付けを施します。輪島塗の堅牢性や吟味された形の美しさは髹漆に負うところが大きいといえます。さらに輪島塗の代表的な加飾方法として蒔絵と沈金が挙げられます。


蒔絵は漆で絵柄を描き、硬化する前に金粉などを蒔きつけ固着させます。沈金は、漆の表面に沈金ノミで文様を彫り、その溝に漆をすり込み、金箔や金消粉を入れる技法です。これらの技の集積によって生み出されるのが輪島塗なのです。


             石川県輪島漆芸美術館 漆の里広場


当館に隣接した「漆の里広場」には、色々な樹木が植栽され四季折々の自然を楽しむことができますが、中心はウルシと漆器の木地になる樹木です。樹木には樹種のプレートが付けてありますので、観賞しながら散策することができます。当館へお越しの折には、ぜひ「漆の里広場」にもお立ち寄りください。


              石川県輪島漆芸美術館 展示室


               石川県輪島漆芸美術館 正面


石川県輪島漆芸美術館は、常時漆芸品を展示している漆芸専門の美術館です。1991(平成3)年、日本を代表する伝統工芸「輪島塗」の産地に開館しました。さまざまな企画展のほか、常設展では輪島塗の技と歴史を、製作道具や映像でわかりやすく紹介しています。


近世から現代にいたる輪島塗、日本芸術院会員・人間国宝をはじめとする漆芸作家の作品や国内各地の名品、世界各地の漆器など漆芸に特化したユニークなコレクションにより、総合的な漆文化の発信を目指しています。


〒928-0063 石川県輪島市水守町四十苅11番地 電話:0768-22-9788(現在、臨時休館)


幻のやきもの

石川県能登「珠洲焼」について


「珠洲焼(すずやき)」という言葉ができたのは、わずか60年ほど前のこと。500年ほど途絶えていたため、その存在すら忘れられていました。現代に伝わる、中世の壺や甕、それらからつくり方を推測し、研究が進んでいます。研究者も一般のファンも、珠洲焼の謎を探る旅は始まったばかりです。


中世・環日本海の文化が育み栄え、忽然と消えた黒いやきもの


                珠洲焼代表作品(一部)


珠洲焼は、平安時代末期から室町時代後期にかけて珠洲市を中心に能登半島の先一帯
(現珠洲市および旧内浦町)で生産された、中世日本を代表するやきものの一つです。


珠洲焼の歴史

珠洲焼は、12世紀後半(平安時代末)から15世紀末(室町時代後期)にかけて珠洲郡内で生産された、中世日本を代表する焼き物のひとつです。


窯は半島先端部に築かれ、海運により日本海沿岸の東北、北陸の各地や遠く北海道まで運ばれていました。陸上交通が発達していなかった当時において、遠隔地への往来や物資の輸送には、水上交通(海・川・湖)のほうが便利であったと考えられます。焼き物という重量物を出荷する流通コストの面では、日本海に突き出した能登半島は地の利があったといえます。


14世紀には最盛期を迎えて、日本列島の四分の一を商圏とするまでになりましたが、15世紀後半には急速に衰えて間もなく廃絶しました。


窯跡は、宝立町にある法住寺古窯跡をはじめ、約40基の古窯が調査によりわかっています。


珠洲焼の特徴

珠洲焼の特色は、須恵器の系統を継ぎ、粘土紐を巻き上げ、叩きしめて成形を行い、「還元焔燻べ焼き」で焼き上げる点にあります。無釉高温のために、灰が自然釉の役割を果たすことが多く、幽玄ともいえる灰黒色の落ち着いた美しさを醸し出します。


当時は、甕、壺、摺鉢などの日用品が多く焼かれていました。

現代の珠洲焼は当時と作陶工程はほぼ変わらないものの、甕、壺、摺鉢をはじめ、花器、酒器(徳利、ぐい飲み、お猪口)、湯呑、茶器(抹茶碗、急須)、ビアカップ、コーヒーカップ、大皿、小皿、鉢、箸置きなど多様なものが陶工の手によって作られています。


その味わいは、使い込むほどに味わいが出てくるものとなっています。


使うことで落ち着いた肌ざわりに

珠洲焼の表面の凸凹は、使いこむことにより角が取れて使いやすくなります。使うほどに落ちついた色つやとなり、自分だけの愛着ある逸品となります。


ビアカップ、ビールジョッキの上手な使い方

釉薬を使わないため、表面の凸凹がビールの泡立ちをきめ細かにしてくれます。最後まで美味しく飲むことが出来ます。あらかじめ、ビアカップやビールジョッキを冷蔵庫に入れ、冷やしてお使いになると、より一層美味しくいただけます。


花器の花が長持ちします

鉄分を多く含んだ粘土で、釉薬を使わず高温で焼き締める焼き方のため、水の浄化機能をしてくれます。水の状態が良く、お花を長く楽しめます。


珠洲焼館


珠洲焼館は、珠洲市を中心に能登半島で珠洲焼を手がける、つくり手(陶芸家、窯元)の
作品が揃い、購入できる施設です。(現在、臨時休館)

〒927-1204 石川県珠洲市蛸島町1-2-480



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(順不同・敬称略)

宮内庁

石川県

輪島市

珠洲市

石川県輪島漆芸美術館

珠洲焼館

公益社団法人石川県観光連盟

石川県名古屋観光物産案内所

紅山子(こうざんし)


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アーカイブ リンク記事をご覧ください。


奥能登~あの時…子供たちの想い出~いつまでも



海と日本プロジェクト in 石川県実行委員会は、2021年夏、国連の「世界農業遺産」に認定されて10年目を迎えた奥能登で、能登町の子どもたちを珠洲に招待し、海の恵みである海藻や塩、海洋プラごみを学ぶイベント【さいはての珠洲 海の恵みと漂着物】を2021年8月4日(水)に開催した。


このイベントは、次世代へ海を引き継ぐために、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環である。(わずか9日前の話ですよ〜)



奥能登に伝わる「揚げ浜式製塩法」を学ぶ 子どもたちは庄屋の館で新鮮な海藻を「しゃぶしゃぶ」で味わった。


6種類の海藻は味も食感も様々。奥能登は古くから海藻を食べる習慣があり、それは海がきれいだから味わえるということを、庄屋の館総料理長の和田氏から教わった。


食後は道の駅すず塩田村で海藻と同じく海の恵みである「塩」について学んだ。珠洲市には400年以上の歴史があり、国の重要無形民俗文化財にも指定されている「揚げ浜式製塩法」にて今も塩作りが行われている。


寒流と暖流が混ざり合い、プランクトンが豊富。また、潮の流れが速いので海水はキレイな状態に保たれている。そんな海水を使い、参加者は揚げ浜式製塩法を体験した。汲んだ海水を「かえ桶」で運ぶ。これだけでも大変!さらに塩をまく作業は“潮汲み3年、潮撒き10年”といわれるほど難しく、猛暑の中で子どもたちは一生懸命に作業を行つた。その後乾燥や煮詰める作業を経てようやく塩が完成する。


完成した塩を使ってゆでたジャガイモを試食して、普段口にしているものとは一味違った海の恵みを体感したのだった。


ZIPANG-5 TOKIO 2020 小学校の夏休みに奥能登にて! ~海の恵みと環境を学ぶ~
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/20194033



※現在、2250件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
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ZIPANG-8 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見その1. 全世界との情報の共有化その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重!その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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