ZIPANG-8 TOKIO 2020 「心の文明へ」2−1    あなたが微笑めば 世界が平和に 【寄稿文】一舟・光秀


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、
能登半島地震で被害を受けた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。(編集局)


前編 慈しみの心の平和へのデザイン

1. 那覇都心のアメニティー大空間 金城ダム 
2 . 王朝の庭の国宝 識名園(しきなえん)


金城ダム

那覇市の都心にある都市インフラデザインから学ぶ平和の心
その稀有な存在は那覇市の都心にある金城ダムと、世界遺産 識名園は琉球王朝の平和の思想がよく伝わる優れた心の風景だ。


金城ダムは都市景観と調和する風土と伝統を活かす公共デザインの手本

 

那覇市都心にある回遊性に優れ散策自由な市民ダムは、世界に類のない平和で美しい機能的な造形と素材と色彩のデザインである。


機能だけが目立つ本土のダムとは大きく異なり、都心地域全体と調和する地形の生かし方、自由に回遊できる変化のある動線。


細部にわたる沖縄の素材の美しい活かし方など、ランドスケープデザインは見事である。
そして隣接する公園と王家の離宮の存在とも一貫したデザインのポリシーと穏やかで緩やかな風景は平和な心を大切にするビジョンが快く共振する。


地元素材のエイジングも活きて整然とした貯水池側壁立面は実に小気味よい


現代日本の忘れかけた奥深い品格の景観デザインの手法に学ぼう


次々と変化する風景の構成と造形が力づよく美しい


自然と機能の複雑性を繋いでいく自然な景観デザインは見事 ハブにご注意


こんな回遊できる堂々たる休息環境が都市の真ん中にある稀有な事例


水位の上下による素材と色調の繊細な変化も美しい


欄干の一点の竜のレリーフは、伝統と現在を一体に表現している


効果的な位置に咲く沖縄桜も楽しい


本土では嫌われる擬木の柵も美しく見える沖縄の高度なデザイン

 

参考まで 岐阜県にある小里川ダムの筆者のデザイン思想

筆者が関わった岐阜県の小里川ダムは、急峻な山里における穏やかな里山ダムをめざして
取り組んだ。

円弧の造形モチーフ、堤体上を常時車の通行可、下流側の展望テラス、堤体内部の子供達のギャラリー、コンクリートに馴染む鬱金色を安全機能色に、建設工事資材用ゴンドラ左右の土台を展望台に、夜間照明も楽しめる、現地から出た巨石を加工し、ダムの四方に安全祈願の四神相応の親柱とした。


ダム上部堤体の道路機能のリズムとリンクした夜間照明を


コンクリートの固い質感を円弧で全体に馴染ませ優しい里山ダムになった


心休まる 庭の国宝 世界遺産 識名園(しきなえん)

人の世の難しさを越える 世界遺産 国の名勝庭園は 国の統治者王の品格を感じる。 


実に自然な池泉回遊式ランドスケープデザインである


琉球王国の平和の典型は、太平洋戦争開戦12月8日のすぐ後、1941年12月13日に国指定
「名勝」となり、1945年4月沖縄戦で破壊されその後再建された。
筆者の誕生日1941年11月8日にも近いので印象深い名勝である。


この琉球王朝の簡素で自然と一体の別邸に接すれば平和がわかる。
東洋には軍隊のない平和な琉球という国があると聞いたナポレオンは、そんな国などこの世にもある筈はないと言ったとか。


ヨーロッパを荒らしまわり多くの人々を殺した歴戦の皇帝が、戦に敗れ島流になる前に一度おいで頂けたなら、成金趣味の西欧と全く異なるこの自然体の穏やかな風景に納得しただろうとおもうと残念。
世界も日本もどこでも人を殺し暴力で勝ち取った王位や政権は短命である。


ゆったりとした風景に外国の使節も心休まったと想像できる質素な離宮


歩くにつれ次々と異なる優しいテクスチャーのカーブと風景が現れる


足下の足触りの変化に来園者も楽しめる


なんの衒いもない周囲の自然と一体の御殿の風情 


内部も明るく整然として風も静かに香る


付属の建物も実に簡素で美しく奥ゆかしい


優しい環境は人の心をつくる平和への揺籠である

                    一舟・光秀


次回へ続く「心の文明へ」2−2 あなたが微笑めば 世界が平和に

後編 慈しみの知性による平和への道

3 . 富山で見た平和への 優れた希望の光

4・平和に恋すれば 麒麟が来る


寄稿文 一舟・光秀(林 英光)



環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
東京藝術大学卒業


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


世界遺産「識名園(しきなえん)」


識名園

王家別邸の庭園として1799年に築庭されました。王族の保養の場としてだけなく、中国皇帝の使者である冊封使を饗応する場所としても利用され、国の外交面において重要な役割を果たしました。


庭の地割には日本庭園の影響が、池の小島に架かる石橋や六角堂と称される建物の意匠には中国の影響が各々見られますが、全体的には琉球独自の構成や意匠を主体としています。 池の水源である育徳泉には、冊封正使・趙文楷の筆になる二つの石碑が建っています。


第二次世界大戦で甚大な被害を被りましたが、遺構調査に基づいた綿密な保存修理などによって平成8年度に甦りました。


世界遺産 識名園 中国の影響が見られる「六角堂と石橋」


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「琉球王国のグスク及び関連遺産群(5)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6571862



新潟県「関川村」の伝統と見どころ


新潟 関川村 荒川峡の紅葉


新潟 関川村の冬 渡邉邸 石置木羽葺屋根の母屋


渡邉邸 

米沢街道における豪商・豪農・大庄屋の屋敷。昭和29年(1954)には国の重要文化財に指定されました。広さ3,000坪の敷地に石置木羽葺屋根の母屋、6つの土蔵、国指定名勝の庭園があります。


関川村の歴史・文化

関川村は日本海側と内陸を結ぶ交通の要衝にあり、先史時代より荒川沿いに道ができて発達してきました。

今から約500年前、米沢の戦国大名、伊達種宗(たねむね)が羽越国境の大里(おおり)峠を開き、そこにつながる道が次々と整備され、十三峠ができました。



十三峠

鷹の巣峠-榎峠-大里峠-萱野峠-朴ノ木峠-高鼻峠-貝淵峠-黒沢峠-桜峠-才ノ頭峠-大久保峠-宇津峠-諏訪峠



渡邉邸について

廻船業、酒造業や新田開発で財を築いた豪商・豪農の館で、いまだ江戸時代のたたずまいを鮮明に残しています。


現在の渡邉邸は度重なる火災のあと、文化14年(1817)に再建され、周囲に堀と塀を巡らせた3,000坪の広大な敷地に、500坪の撞木造りの母屋、6棟の土蔵、庭園が配置されています。


昭和29年(1954)に母屋、金蔵、米蔵、味噌蔵の3蔵が、昭和53年(1978)に宝蔵、新土蔵、裏土蔵、塀3棟と慶応3年(1867)に描かれた屋敷図、宅地、米蔵の附としての棟札3枚が、それぞれ国の重要指定文化財に指定されました。


また、江戸時代中期に京都から遠州流(えんしゅうりゅう)庭師を招いて構築した庭園が、昭和38年(1963)に国の名勝に指定されています。


建物は昭和39年(1964)の新潟地震や昭和42年(1967)の羽越大水害、近年の白アリ被害などで老朽化が目立ってきたため、6年の歳月をかけて平成26年(2014)、平成の大修理を完了しました。


母家

建物は街道に面し平行に建つ棟(前棟)と直角に建つ棟(後棟)の二つの棟からなり、屋根はT字型の「撞木(しゅもく)造り」です。


土間はどこよりも広く取ってある。最盛期、一万俵の米俵が持ち込まれたとか・・・


部屋の数は約40室、便所7ケ所、浴室4ケ所と大規模なお屋敷で、最盛期には70名ほどが暮らしていました。


渡邉家は廻船業を営んでいたことから、石材の多くは紀州・小豆島・京都鞍馬石など関西方面のものが使用されています。


(詳しくは下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020 新潟県「関川村」の見どころ(1)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/41047920



日本の礎を築いた せとうち備讃諸島とは


重要文化財「旧横浜正金銀行本店本館」


この建物は明治三十三年着工し、明治三十七年に完成した石造三階建です。

現在は神奈川県の所有になり、関東大震災で被災したドームを復原し、一部増築および改修をして県立博物館に使用しています。明治三十年代における代表的洋風建築で、外観はよく保存されておりすぐれた意匠をもっています。


明治以降、花崗岩の採石は地場産業として確立されていき、そんな中、笠岡諸島の北木島から切り出された「北木石」と呼ばれる花崗岩は東京をはじめ、全国各地の近代建築に使われてきました。


北木石を使った重要文化財建造物は、先述の2棟に加えて、横浜正金銀行(現神奈川県立歴史博物館)、大阪市中央公会堂、日本橋、東京駅丸ノ内本屋、三越日本橋本店など、枚挙にいとまが無い。


日本遺産 北木島 石切りの渓谷展望台


日本遺産 北木島 石切りの渓谷

1950年代の機械化によって、あたかも「山を切る」ような採石が可能となってからも、石工たちは良質の石を追い求め、下へ下へと深く切り進んでいった。その結果、まるで天空にそびえ立つ断崖絶壁のような丁場が誕生しました。


明治25年(1892)に始まり現在でも石を切り続ける丁場は、ついに高さ100mの峡谷となって、そこに立つ者の足をすくませます。


これら備讃諸島の島々を巡ることによって、400年にわたる採石技術の変遷を見聞きし、体感することができます。


瀬戸内海国立公園の名勝地「白石島」


笠岡港から約16kmにある島。笠岡沖に点在する30余りの島々「笠岡諸島」の中央に位置し、景観の中心となっています。花崗岩の地肌が遠くから白い雪をかぶったように見えることから、白石島と呼ばれるようになったと言われています。


また、瀬戸内海国立公園の名勝地として知られる白石島は夏のマリンレジャーをはじめ、弘法大師ゆかりの寺や幻想的な白石踊りなどを目的に、家族連れやグループなど多くの人々が訪れています。


(詳しくは下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 日本遺産「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島 〜海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島〜とは」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7762830



ぬーんねしが今帰仁村

アヤーチ獅子は、県の無形民族文化財に指定


ぬーんねしが今帰仁村

「ぬーんねしが」とは沖縄方言で「何もないけど」という意味。

今帰仁村にはショッピングモールもファミレスも大型娯楽施設もありません。
だからこそ、手つかずの大自然や昔ながらの風景が残っている。
「何も無いけど満たされる。」それが今帰仁村。


今帰仁村では、一年を通じ各集落において沢山の祭やイベントが開催される。
本号では、その中から特に地域に根ざした「祭り」をご紹介!


沖縄 今帰仁村豊年祭 紅の衣装にて舞う伝統芸能「琉舞」


各字の豊年祭

今帰仁村の各字では、五穀豊穣と村人の繁栄を祈願して豊年祭が開催される。この豊年祭で連綿と受け継がれてきた湧川区の路次楽(ろじがく)や謝名区のアヤーチ獅子は、県の無形民族文化財に指定され、そのほか各集落では多くの伝統芸能が受け継がれている。この日は、村内外から多くの人々が集い、華やかな伝統芸能が奉納される。


毎年開催:湧川区

隔年で開催:今泊区、兼次区、諸志区、与那嶺区、仲尾次区、崎山区、謝名区、仲宗根区、勢理客区、渡喜仁区、上運天区、古宇利区

今帰仁の文化に触れることができるまたとない機会である。


(詳しくは下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「ぬーんねしが 今帰仁村19の集落と祭り(4)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6564987



※現在、2250件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-8 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見その1. 全世界との情報の共有化その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重!その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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